09/09/21 作成

日本最長鈍行 “2429D” 乗車記  Vol.4

  さて、今回は北海道の鈍行列車の旅である。道内には根室本線を走るこの“2429D”以外にも、魅力的な列車が幾つかあるので紹介しよう。
 まず、宗谷本線には“4332D”がある。これは、稚内〜旭川の259.4kmを6時間3分をかけて走る長距離鈍行だ。途中の幌延では何と38分も停車
 するのだ。そこでは列車番号が4334Dへと変わり、更に名寄では330Dへと2度も列車番号が変更されるが、同じ車体が終点まで運行される。
 使われる車両は軽量ステンレス車体のキハ54系。ハイパワーなエンジンを搭載するため加速が良く、特急車両の廃車によって発生した座席が使
 われているため、快適な旅が楽しめる。

 そして、オホーツク海を望む流氷の街、網走へと向かう石北本線にも鈍行列車が走っている。ただし、途中の上川からになってしまうが、終点の
 網走まで189.1kmを堂々5時間30分をかけている。この列車もまた途中の遠軽では列車番号が4659Dへと変わるが、表定速度は34.3km/hと
 極端に遅い。それは急勾配の石北峠を越えることもあるが、遠軽で48分、北見で35分という長時間停車が足を引っ張っているからだ。また、
 使われる車両も、いま乗車している“2429D”と同じキハ40系で、ローカル色豊かな旅情を味わえるのだ。

 
  

  対向列車との交換で停車した常豊信号場。   駅名標に短いホーム、傍らには木造駅舎?  しかし、ここは駅では無い。  DF200が牽引する貨物列車が通り過ぎて行く。

 浦幌駅を発車した列車はしばらくすると、直ぐそこに山が迫る十勝平野の隅っこのような場所に停車した。コンクリート製の短いホームに駅名標、
 その傍らには駅舎らしき建物も見られる。まるで“駅”のような佇まいだが、ここは“常豊(つねとよ)信号場”だ。もちろんドアは開かないため、乗降
 出来ない。ここは、隣の上厚内と11.8kmも離れているため、国鉄時代の昭和41年、列車交換の目的で造られた。しかし、駅として開業した記録は
 無く、この使われないホームは、通標閉塞だった時代、信号操作を行う係員が列車乗務員と通標(タブレット)を授受をするために設置されたものだ。
 現在では、自動信号(CTC)化されたため、無人になっている。

 周囲に人家もなく、もしもここが駅として機能していれば、間違いなくハイレベルな秘境駅になったであろう。至極残念である。いや、勿論そんな
 目的で駅が造られることは無いが、設備が整っているだけに実に惜しい存在だ。このような謎の信号場は、この北海道だけではなく、全国各地に
 幾つか存在する。なかには外界から通じる道路もなく、トップクラスの秘境駅と遜色のない物件も存在する。こうしたモノ見ると冒険心に火がつき、
 思わず血が騒いでしまうのだ。我ながら困った性質である。停車していた時間はわずか6分。その間、上り貨物列車が呆気なく通り過ぎて行った。

   

  古い木造駅舎が健在の“上厚内駅”。補修は最小限に留まり、絶妙な鄙び具合だ。  正面の扉も以前と同様の重厚な木製。  霧に包まれ、ひたすら荒れ狂う太平洋。

 列車は山深い峠をひた走り、峠のトンネルを抜けると雨に変わった。外は肌寒く、霧がかかった車窓を見ながら上厚内駅に着く。この駅の素晴らし
 さは、何といっても古めかしい木造駅舎が健在であることだ。それでも屋根や軒の出には最小限の修繕が見られ、まだまだ大切に使っていくという、
 姿勢を強く感じた。そして発車して改札口を通る瞬間、正面の木製釣り戸も、以前訪れた(2001年3月)時のまま残されている。次回渡道した時には、
 ぜひ再訪してじっくり観察したい。そして、次の厚内駅を出てすぐ、霧に包まれた荒れ狂う太平洋に出た。好天ばかりが良い風景とは言えない。
 これこそ最果てを旅する者の心象風景なのかも知れない。

   

 
 直別駅がログハウスみたいな建物に変わっていてショックを受けた。  尺別駅はその昔、炭鉱で栄えた。今は痛ましい廃屋たちを霧が隠す。  キハ40のラッキーナンバー。

 線路を走るリズミカルな音。窓枠に伝わる振動。やがて頭の中も車窓のようにぼんやりとして来た。いかん、まだ終点の釧路まで1持間以上ある
 ではないか!必死にガムを噛みながら覚醒させる。ふと外を見ると直別駅だった。何だあのログハウスは…。古い駅舎のうちに降りておけば良か
 ったと後悔しきり。まあ、こんなことを言ってもキリが無いが。そして尺別駅。ここも秘境駅として紹介しているが、炭鉱が栄えた頃には専用鉄道も
 分岐し、4000人以上の人口を誇っていた。しかし、今ではその殆どが廃墟で、人が住む家は数軒しかないという。そんな寂しい風景を見せたく
 無いのか、辺りは深い霧のベールに包まれていた。ここでは芽室行き2528Dと列車交換。何とキハ40の777番だった。私はパチンコをしないが、
 縁起の良い数字を見ると、何故か嬉しくなる単細胞の持ち主である。

 
  

  茫漠とした原野は、泥炭の湿地で人を寄せ付けない。  列車交換のため、古瀬に8分停車! 昨年、写真集・秘境駅Uで訪れた。  反対側ホームは千鳥配置のため遠い。

 音別を過ぎ、太平洋沿いに無人の原野をひた走る。列車は突然林の中に止まった。周囲に人家はなく、未舗装の林道だけが木立のなかに消
 えていく。写真集・秘境駅Uでも紹介した古瀬駅に到着。ここで特急スーパーおおぞら12号と交換のため、8分停車だ。思わぬプレゼントに心が
 躍る!昨年の10月に来たばかりの駅だ。勝手知ったるもの、さっそく林道に出て反対側の詰め所があるホームに行ってみた。辺りには“ガラガラ”
 という列車のエンジン音が響いているだけ。2〜3枚の写真を撮ってから、列車に戻ると数人程度の乗客が板張りホームを散策していた。僅かな
 時間であるが、こうして大自然の中にある秘境駅に降り立てるチャンスは少ない。これも“最長鈍行2429D”の旅の醍醐味であろう。しばらくして、
 構内踏み切りの警報が鳴り、特急が駆け抜けて行った。


   

  終点までに整理券と対応する運賃表。滝川からは5,560円だ!  8時間の長旅お疲れ様でした。そしてありがとう!  すっかり夕暮れ時になった釧路駅へようやく到着した。

 列車は白糠を過ぎ、薄暗くなった住宅地のなか、家路を急ぐようにラストスパートを掛ける。しかし、そんな健気な頑張りも、さすがは鈍行列車。
 大楽毛で何と17分も停車するというのだ。終点の釧路まであと3駅なのにズッコケである。あらかじめ時刻表を見て解っていたことだが、こうして
 止まった車内で過ごす身になると、苦笑するしかない。ただ、私はそんな時間を過ごすことに慣れている。駅やその周りの観察をすれば良いのだ。
 こうして、終点まで一駅となった新富士を発車したところで、運賃表を記念撮影。始発の滝川からは5,560円という金額になっている。普通列車
 とは言え、青春18きっぷやフリー切符の類を使わないと、尋常では済まない金額を請求されるから注意されたい。

 さて、ここで始発の滝川から終点の釧路まで乗り通して来た乗客は、私を含めて8人である。残念ながら彼らとは一切会話をしていない。それは、
 いったん話込んでしまうと、取材にならなくなるため仕方が無いのだ。ここで彼(彼女)らの、乗車中における様々な行動を紹介しようと考えた。
 しかし、万が一このページを閲覧されて、プラバシーの問題が生じたり、気を悪くされては失礼に当たるため、控えることにした。ただひとつ、乗客
 の中で3人組の若い女の子たちが、到着したホームに出て、「やったー!」という歓喜の声を上げながら、記念撮影をしていたのが印象的だった。
 “鉄子”という人種が確実に育っていることを、改めて目にした瞬間だ。鉄道趣味界の中で、幾つかの著作を出させて頂いている私にとっても、
 嬉しい出来事であった。

 こうして、我が2429Dは、終点の釧路へ定刻の17:38に到着した。「終わったぁー」という、ため息に似た一言が口をついて出た。同時に、別れが
 惜しいという感情も沸いてきた。荷物も担いでホームに下りる。最後に正面の写真を撮っていて、自然に出た言葉は「ありがとう」。
 札幌から特急に乗って、たったの4時間弱で着いてしまう旅では到底出てこない言葉である。そして、この8時間の感想を述べても、「楽しい」と
 いう一言だけで、ネガティブな心象は一度も無かった。緑鮮やかな大自然、行きかう列車、美味しい駅弁、そして数々の秘境駅のいま…。
 「鈍行列車の旅」は楽しい!このノンビリとした魅力を、一人でも多くの人に味わって頂きたいものである。