2001/05/15  作成  

青井岳駅

日豊本線 「青井岳駅」 周囲に人家は少ない。 虫の声だけが辺りに響き渡る山間の駅であった

       

駅構内は、列車交換や保線用の側線を備えているのでかなり広い。 そして、駅名の通り山深い緑一面の「青いだけ」の駅である(寒)。

       

  天国への階段を思わせる幻想的な駅の入り口。 駅前はそれだけ真っ暗だったということである。 駅前にはこの看板が一つあるだけ


  訪問日記  2000年5月8日 訪問

  ここは日豊本線の「青井岳駅」である。小倉と鹿児島を結ぶこの長大な路線の中でもかなり山深い地域にあり、隣の山之口駅からは9.8Km、田野駅からは11.3Kmも離れている。
 ここが丁度峠のピークとなっていて、かように山深い場所ゆえ街が形成される筈もなく、駅前には人家が3軒しか見えない。さらに家の明かりも灯っていなかったので、実際に住ん
 でいるのかどうかも疑問である。駅前には国民宿舎「青井岳荘」の看板があり、およそ600m離れているようだ。また、列車交換の役割をのほか、保線用の工事・資材運搬車両な
 どが配備されているため、駅の構内はかなり広い。

 今回、高千穂鉄道の秘境駅訪問を終え、延岡から宗太郎駅を訪問した。その後、夕食の弁当を駅前広場のベンチで食べ、辺りが暗くなってからこの青井岳駅へ逆戻りして訪れた。
 駅を降りるが、私以外、誰も乗降しなかったので、列車が行ってしまうと私ひとりが深い山の中に取り残された。待合室はこの線区の無人駅全体にほぼ共通する奇妙な形のスケル
 トンタイプであり、今一つ雰囲気が悪い。しばらくして乗車する列車がやって来た。これだけ遅くなろうとも、私の動きはまだ止まることはない。次の目的である2駅先の「餅原駅」へ
 向けて真っ暗なトンネルへ吸い込まれていった。 


        

待合室はちょっと味気ないスケルトンタイプで内部にはプラベンチのみ          幅の狭いホームは10両は停まれるとど長い

 
        

駅の周囲に人家は少なく、緑一色の山深い中にある。   特急「きりしま」が元ハウステンボス車に“みやざきフラワーフェスタ”仕様で登場!

   再訪日記   2001年5月9日 再訪
 
  ここは深い山の中にあって、駅前に人家は 3軒ほどしか見えないが、少し離れた場所に10軒程の小集落があるようだ。待合室は、この地区の無人駅に多いガラス張りスケルトンタイプで、
 雰囲気は今一つ。跨線橋を渡ると10両は停まれるほどの大きくカーブした島式ホームがあるが、その高さはかなり低くいため、列車への乗降はステップを使わないと苦しい。さらに側線には
 保線用の工事・資材運搬車両などが配備され、この線区における線路 保守のための重要な基地となっているようだ。この駅の主な利用目的としては、周囲の人家の少なさから日常的に乗
 降する方は非常に限られてはいるが、近くに国民宿舎「青井岳荘」などがあるため、休日など主にハイキング を目的としたレジャー駅として役割の方が大きいと思われる。

 今回私は九州秘境駅訪問旅として南九州地区の秘境駅を重点的に周る旅をした。 昨夜に博多から乗車した夜行特急「ドリームにちりん」を南延岡で降り、折り返して3度目と なった宗太郎
 駅の訪問を果した。その後、南宮崎へ出て日南線に乗車して途中にある福島高松駅に寄って昼食を摂り、午後になってからようやく終着駅の志布志駅へと到着。かつては鉄道の要所として
 栄えたこの駅も、志布志線や大隈線の2路線を廃線で失い、駅そのものも無人化されてしまった。それ以後もしばらくキヨスクだけ営業 していたようだが、時代の流れかいつのまにか撤退し
 てしまったという。ここから一旦列車の旅を中断することにして、バスを利用して旧志布志線沿いに都城へと乗車。しかし、全線通して乗車した乗客は私一人だけで、最初に乗っていたおば
 さんも 10分程度で早々と降りてしまい私専用の貸切状態となってしまった。バスでさえこの有様 だから、廃線になっても致し方ないのであろう。こうして1時間半に及んだ長い道のりを経て、
 ようやく都城駅へ到着した。

 前置きが長くなったが、都城駅から4駅先にあるこの青井岳駅で降り立った。ここに降りたのは初めてでは無いが、前回に訪問した時は夜間だったため、街灯のない真っ暗闇の世界では、
 駅施設以外の状況が不明であった。今回に関して、夕刻ではあったものの十分明るい時間であり、45分近くの滞在時間が確保出来たので周囲の散策も行えた。誰一人居ないガランとした
 広い駅構内を端から端まで歩き回るのだが、5月とはいえ南国の蒸せ返るほどの暑さで、その足取りもだんだん重たくなってきた。何処かに水道はないか?と探していたら、草に埋もれた
 通路の脇にひっそりとあった。思わず喜んで濡れタオルで全身を冷やすのであった。こうして、短時間であったこの駅の滞在もそろそろ"お迎え"となる列車がやってきた。やはり、誰も降る
 ことなく、私だけが周囲の乗客から好奇な視線を浴びながら乗車する。車掌の笛が山間に鳴り響くと呆気なくドアが閉まり、やがて真っ暗なトンネルへと吸い込まれて行った。