2002/5/4 作成

抜海駅

宗谷本線“抜海駅”  辺り一面に広がる雪原に、ポツンと佇む古い駅舎。 これこそ最果ての駅に相応しい。

        

駅舎は古くて郷愁を誘う。 雪切り室があり、最北の厳しい自然環境を物語っているようだ。  駅の裏は誰も立ち入らないような原野が広がっている。 

        

コトコトとレールを鳴らしながら一両きりの相棒がやってきた。  そしてつかの間の出会いと別れ、そんな情景がこの駅では日々演じられている。

   訪問日記   2002年1月5日 訪問

  ここは、宗谷本線にある日本の鉄道の中でも最北に位置する無人駅だ。全長254.9kmにも及ぶ路線の終点である稚内から2駅手前にあたる。稚内という街は、
 ある程度開けた地方都市であるため、当然ながら多くの人々が住む。しかし、街を離れた列車はあっけないほどの孤独感のなか、無人の雪原を黙々と走る。途中、
 丘の切れ目から利尻富士を垣間見ながら、ようやくこの抜海駅へたどりり着いた。南稚内からの駅間は11.7kmにも及び、最北の旅情に浸るには絶好の区間といえ
 よう。稚内駅で食料調達をした私は、昼過ぎの列車に乗ってここに来た。対向列車との交換のために5分ほど停車するという。普段の私なら短い停車時間を嬉々と
 しながら観察するが、今回の旅はまったく急ぐ必要がない。何て贅沢な旅なんだろうと我ながら思う。秘境駅へのひと時の癒しと安らぎを求め旅であっても、今まで
 に奇妙な忙しさを感じたことも、幾度となくあった。これを一般的に“本末転倒”と言うが、無意識のうちにプランを組んでしまうあたり、まだまだ旅人としての境地に
 達していないと思う今日この頃である。

 ここには何か大きなものを無言で語りかけてくるような古い木造駅舎が健在だ。駅の開業は大正13年6月25日。長い歳月の中で、厳しい風雪に耐えてきた威厳を
 感じるが、何故か訪れる人々に優しく言葉を投げかけてくる気がしてならない。建物そのものに生命が吹き込まれているのか?そんな想いとは裏腹に古い駅舎の
 解体が進む今日のやり方には疑問を感じる。もちろんノスタルジーだけでは経営は成り立たないことも解る。古い駅の維持管理にも費用が掛かるし、列車を待つ
 乗客の安全性も懸念されよう。しかし、逆説的に捉えれば、こうした駅が存在することで、旅をいっそう面白くするものなのだが。

 さて、次の稚内行きの列車までは2時間あるので、海岸へ歩き出しながら周囲の状況を確認しよう。駅前は人家3軒でそのうちの1軒は廃屋という寂しさ。見慣れな
 い旅人を見て、飼われている犬が盛んに吠えまくる。私が高校生の時分、郵便局で年賀状配りのアルバイトをしていた時に噛まれたことがあり、自身のトラウマに
 なっていることも確かにある。さらに2年ほど前に、岩泉線の押角駅で鎖に繋がれていない猛犬に追い回された経験もある。私はどうも犬とは相性が良くないようだ。
 まあそんな些細なことはどうでも良い。さらさらに乾いた細かな雪を踏みしめ、時折吹き付ける突風に悩まされながらも20分ほど歩いて海岸線へ出た。期待してい
 た利尻富士は雲の向こうに霞むだけ。少々残念ではあったが、長時間列車に揺られる体をほぐすのには適度な運動となった。しばらくして駅へ戻るが、それでもま
 だ1時間ほどある。携帯電話のアンテナも圏外か立っていても1本。こんな退屈な世界では、ボーっとするしかないという結論に達した。何か新しいひらめきでも出る
 かと期待したが、頭をよぎるのは昔の恥ずかしい失態ばかり。人生とはかくも難しく、棘(いばら)の道であろうか。