2001/11/08 作成

知和駅

因美線 “知和駅”  昭和初期の古い駅舎は、ほとんど手が加えられずそのままの姿を残している。

  

ホームは一面一線の単純なもの。 やって来る列車はキハ120系の単行気動車。 誰も降りず、そして誰も乗らない…

  


駅舎の内部は当時の面影を忠実に残し、遠い昔の古き良き時代の風情を醸し出している。 一つ一つのモノ全てに味わいがあって素晴らしい

    訪問日記  2001年9月2日 訪問

  ここは因美線の知和駅という可愛らしい名前の小さな駅。21世紀を迎えた現代において、往年の姿を忠実に残す数少ない木造駅舎を持っている。写真では一部しか
 紹介できないが、実際に訪れるとその雰囲気に圧倒されるに違いない。出札口もチッキ(小荷物取り扱い口)もカーテン一つ引いておらず、木枠のガラス窓が郷愁を感じ
 させる。さらに改札口へ足を運ぶと、木製のラッチが多くの手によって磨り込まれた歴史の味わいを見せつける。まるで、ここが幾多の出会いと別れが繰り返されたこと
 を如実に物語っているようだ。そしてホームへ上がると小さな待合室があり、中には開業当時から使われてきたと思われる古い椅子が置かれていた。しかし、これだけ
 の設備や備品が有効に使われているか否かという話になると、あまりに利用者が少なく路線の経営も厳しい状態であることを申し上げなくてはならない。1両きりの単行
 列車は長いホームを持て余し、停車しない場所は生育旺盛な雑草に覆われ、傍目には廃線跡のような風情さえ感じさせるほどである。こうした流れで、ここもまた無人
 化されて久しいが、なぜか落書きや悪戯の跡が見られない。恐らく地域の人々の手によって愛され続けてきたのであろう。場当たり的なデザインをした簡素な駅舎に建
 て替えられることも無く、往年のままの姿で現代に生きる、何とも幸せな駅である。
 
 さて、駅の周囲は一体どうなっているのだろう?駅舎を出ていつも通りに探索を始めた。まず、道を挟んで100メートルぐらい先にデーンと一軒の工場見える。そんな状況
 では秘境駅ではないではないか!っとお叱りを受けそうだが、他に見える人家は数軒ほどしか無いため、日常的な利用者はとても少ないと思われる。さらに乗ってきた
 列車、去っていく列車も自分以外の乗降は無かったことを付け加えておく。

 今回私は、仕事の関係で広島県の東広島市へ転勤を命じられた。この不景気の最中、一丁前に将来や生活の安定なんかを考え、散々悩んだあげく、仕方なく転勤を
 決意したのだった。かくいう私は、東京の八王子に生まれ育って34年間、引越しなど只の一度も経験は無く、これはもの凄くショックなことで、見知らぬ土地で生活すると
 いう不安から心身ともに参っていた。何をいまさら全国をフラフラと旅してるクセに!なんて言わないで欲しい。旅で遊びに行くのと実際に住むのとは訳が違うのだから。
 あまりに落ち着きのない自分を鎮めるように、まずはどのような場所なのか確かめようと考え、幸い青春18きっぷが2日分余っていたので、この知和駅の訪問を兼ねて
 新天地へ行ってみる事にした。
 
 だが、スケジュールはかなりハードだった。まず、夜勤明けの疲れた体を帰宅後にシャワーで洗い流し、急いで支度して9:00に八王子を出発。横浜線と相模線を使って
 茅ヶ崎に出て、東海道・山陽本線の鈍行乗り継ぎ旅へのスタートを切った。とても晴れた良い天気であったが、相模湾の景色に目を奪われることなく、ひたすら次の乗
 換駅である熱海まで爆睡を続けた。やはり終点近くになると起きる習性は、体に染み付いているのであろうか?次は静岡まで乗車するのだが、お昼の時間に駅弁を求
 めようとするが、乗り換え時間はたった1分。あっさりと却下され、次の乗換駅である浜松へと向かう。ここでもまた同じ事態が繰り返された。空腹を抱えて、止む無く豊
 橋行きに乗車。ここで、一本遅らせれば良いじゃないか?という意見が聞こえてきそうだが、目的地の西条駅までは1本たりとも逃せば本日中にたどりり着けないのであ
 る。新幹線など使おうなんて、頭の中にこれっぽっちもない。こうして、何とか豊橋でいなり寿司を買い込み、食物に有りつけた。こうして米原まで進み、今度はJR西日本
 の新快速へと乗り継ぐ。最高速度を130km/hで飛ばす列車は、京都、大阪、神戸という大都市をスルーしてくれるうえに、快適なシートはより良い睡眠環境を提供してく
 れるのであった。こうして姫路に着くが、すでに夕方になってしまったので、今度は晩飯の駅弁を買い込んで岡山まで進む。だんだん夜も遅くなってきて、この先の糸崎
 で乗り換え、ようやく目的地の西条に着いたころには23時ごろになっていた。早速、駅前にあるコンビニで食料を調達し、駅から徒歩30秒にあるビジネスホテルに投宿す
 ることにした。もうクタクタに疲れてしまい、風呂と飯を食べた以降はほとんど記憶が無かった。

 翌朝、まずはこの西条という街の探検だ。秘境駅で周囲を探検するような手法は使えないが、とりあえず一通り歩いて見た。酒造で有名な町らしく、街中に造り酒屋の
 煙突が幾本も立っている。こうして見ると地方都市とはいえ何でも揃い、自然環境も良く中々住みやすそうな街に映った。一先ず少しばかりの不安は解消されたが、勤
 務先へバスを使って行って見たりしているうちに、すっかり午後になってしまった。さあ、明日には東京へ帰らねばならない。急いで岡山行きの列車に乗り込み、上郡で
 降りた。ここからは未乗の第3セクターの「智頭急行線」である。地図上で確かめていた幾つかの秘境駅候補の、苔縄、西粟倉、恋山形などは残念ながら、一定のレベル
 に達していなかった。こうして途中で降りずに、終点の智頭まで乗車。いよいよ因美線に乗ってこの“知和駅”で下車した。
 
 ここは以前通った時、古めかしい木造駅舎の存在をチェックしていて、ようやく訪問が叶って嬉しさもひとしおである。だが、乗車した列車には数人の乗客しか乗っておら
 ず、路線の将来は楽観できない。数々の駅舎はどれも古めかしい木造駅舎ばかりで、私の趣味的な観点では嬉しいが、反面これ以上お金を掛けられない理由も垣間見
 える。しかし、利用者が少なくて路線のお荷物な駅であっても、開業当時は多くの地元の方々の請願叶って造られたものだ。こうした駅は華やかな時代を今に伝える価値
 ある文化財だと思う。末永く生き続けて欲しいものである。