2002/01/28 作成

方谷駅

伯備線“方谷駅”  味わい深い古い駅舎  駅員こそ居ないが委託のおばさんが立派に駅を守っている

       

静かな山間に島式のホーム、ここは列車交換の駅である   業務委託駅なので悪戯で荒れること無く、往時の姿を克明に残している

    訪問日記   2001年12月16日 訪問

  ここは秘境駅という観点からは的外れかも知れない。だが、主要国道こそ近くに走ってはいるものの、“高梁川”を挟んだ対岸に位置していて、
 周囲に人家は数軒あまりしかない。それでも開業当時から建っていると思われる木造駅舎も現役で、雰囲気はすこぶる良い。駅が開設された
 のは1928(昭和3)年10月25日。駅名の由来は幕末の陽明学者である“山田方谷”という人名から採られた、全国的にも珍しい人名駅だ。
 山田方谷(以後方谷)は、駅の正面に見える狭い敷地に居を構え、ここで様々な教えを世に広めたという。今でもひっそりと立っている住居跡の
 碑がその偉業を物語っている。方谷は優秀な勘定奉行で、困窮した藩の財政を建て直した実績を持つ。さらに文武・産業の発展に尽くすだけで
 なく、明治元年には松山城を無血開城させて主君や領民の多くの命を救ったという。通常、駅名とは単純に地名から付られるが、地元の人は
 世代を超えた恩師である“方谷先生”を慕い、終には駅名としてその名を残したのである。

  話しが幾分逸れたが、駅はそんな地元の思いを大切に受け継ぐかのように、出札業務を委託された一人の“おばさん”の手で守られている。
 正式な駅員ではないが、守る人が居るのと居ないのでは大きく違う。建物の傷み具合だけでなく、悪戯の抑止効果にしても然りである。そして、
 何よりも駅が生きているかのように日々乗客を優しく送り、暖かく迎える本来の姿を見せてくれる。これを単に合理化という大義名分の元に多く
 の駅が無人化され、地元の顔である駅が荒れ果てしまった例は枚挙に暇が無い。これは便利で機動性に富む自家用車を手に入れた人々に
 とって、鉄道が縁遠くなってしまったことであろう。

 今回の旅は、JR全線完乗を目指して吉備線を乗りに岡山までやってきた。前々から気に掛けていた駅に近づいたことで、ようやく訪問すること
 が出来た。とりわけ秘境駅にこだわって来た私も、秘境レベルだけで魅力は語れないものだと気付いた。こうして新たな旅立ちへと繋がってい
 くのであろう。