2001/12/11 作成
保津峡駅
山陰本線 保津峡駅 素晴らしい渓谷美 観光鉄道から船下りまで揃っている一大観光地だ
待合室はモロに観光化を意識したモノだが意外と景観にマッチしている 橋梁上にあるホームは長編成の列車でも対応できる長さを持つ
嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車がDLに牽かれてやって来た そちらは旧山陰本線の保津峡駅であるが、やはり周囲に人家は存在しない
訪問日記 2001年11月16日 訪問
ここは山陰本線の“保津峡”という駅で、眼下に保津川(桂川)が織り成す美しい峡谷を望む。周囲に人家は無いが、京都からわずか20分という立地にある観光地のため、
休日にはハイキング客で賑わう。川では“船下り”が運行され、船頭が巧みな竿さばきを見せながら下って行く姿も微笑ましいものだ。駅のある区間は平成元年3月5日に電
化されるとともに複線化された新線に切り替わった。旧路線は観光目的の鉄道として嵯峨野観光鉄道が設立され、平成3年の4月27日にトロッコ嵯峨〜トロッコ亀岡間の7.3
kmが開業している。車両はJR西日本から移籍したDE10と無蓋貨車(トキ25000)を改造した客車を使用したトロッコ列車(SK100・200・300)が運行され、こちらもまた多くの
乗客で人気を博している。
今回私は、北近畿ゾーン券のエリアと周辺の秘境駅を訪れる旅を計画していた。しかし、出発の朝、大失態をしてしまった。朝寝坊である。予定では西条駅を6:11の列車で
向かう筈だったが、憎っくき目覚まし時計が、電池切れで止まっていた。ため息を吐きつつ、リカバリープランを考える。加古川線の乗り継ぎが最悪だが、不幸中の幸いか、
指定券類は取っていないので、以降の旅プランは旅先で柔軟に対応しながら進めることになった。こうして、西条駅を8:49分の普通電車で一路東方面へ向けて出発すること
になった。今まで東京(八王子)に住んでいた私は、出掛ける時は何時も“下り”だったが、これからは山口・九州方面以外は全て“上り”で出発するのだな〜と、しばし早朝の
普通列車の車内でパンをかじりながら感慨にふけっていた。
今回はゾーン券の旅なので、普通列車を延々と乗り継いで行くつもりはない。三原で0系の新幹線“こだま616号”で福山、700系のレールスターの“ひかり362号で”岡山、300
系の“ひかり100号”で姫路へと車両のレパートリーを変えながら進んだ。最初の“こだま”で行っても大して変わらない時間に着くが、そこは鉄道ファンの性である。姫路から
新快速に乗り換えて加古川で降り、加古川線でゾーンの入り口は谷川というアプローチを試みることにした。途中、乗り継ぎの関係で1時間程度時間が空いたため、“市場駅”
で下車して昼食を取った。小さな集落の中にある駅は、古い駅舎も残っていて雰囲気が良い。のんびりとした時間を満喫して、約一時間後にやって来た列車で谷川へ到着。
福知山線で篠山口、新三田とこまめに乗り換えて“武田尾駅”で下車して周囲を散策。そして、尼崎へ出て、特急“文殊1号”で城崎へ向かう。この地区の特急は黄緑色をした
シートカバーを使っており、車内は独特な雰囲気が漂っている。さらに普通列車に乗り換え、今夜の宿となる餘部駅で下車した。ここは有名な餘部鉄橋の脇にあり、下の集落
へは高低差が50m近くあるため、静かな夜が期待できると考え選択した。
こうして、夜中に通過したはずの急行“だいせん”の音にも気付かないまま、早朝5:00に目覚めた。こうして隣の鎧駅を訪問するが、まだ日が出ていないため真っ暗闇。もち
ろん再訪する時には絶景と言われる景色を堪能したい。折り返して浜坂へ進み、キハ181系の特急“はまかぜ2号”に乗車し、豊岡へ向かう。この車両も続々と投入される新
系列の車両に押されて年々活躍の場が失われつつある。ここから北近畿タンゴ鉄道で、途中の久美浜からは特急“タンゴディスカバリー”へ乗り換え、一気に山陰本線の園部
駅へ向かった。こちらの車両は2両編成でシートカバーには“丹後ちりめん”が使われている。とても快適な車両の功罪か、道中ほとんど寝ていたことを付け加えておく。
いよいよ、保津峡駅で下車することになった。私は正直、こんな大都会から近いこうした駅を、“エセ観光駅”みたいなものと当初は偏見を持っていたが、昨日訪問した武田尾
駅と並んで再び感動することとなった。関西圏の秘境駅は、都市部からわずかな時間で到達できてしまう。関東だったら延々と平野を走り抜ける必要があり、2時間以上はか
かるのだから。辺りを探索していると、眼下にトロッコ列車が見えたので、急いでシャッターを切る。今回は残念ながら、この列車の指定券は満席で取れなかったので乗車でき
なかった。次回はトロッコ列車に乗ってそちらの駅にも訪問してみたいと思いながら、京都へ向かう列車に乗車しこの駅を後にした。