2001/05/23 作成

表木山駅

肥薩線 「表木山駅」 深い山間に信号場として開設されたこの駅は、今も尚その役割ぐらいしか果たしてない

    

駅の待合室はこの地区に多く見られるスケルトンタイプ   ホームは割と長いが、停車する列車はほとんど単行で、せいぜい長くて3両である


   訪問日記  2001年5月10日 訪問

  この“表木山駅”は、肥薩線の終点となる隼人から2駅手前にあり、周囲は深い山に囲まれたひっそりとした場所にある。開業は大正5年9月11日に信号場として開かれ、
 4年後の大正9年10月11日には旅客を取り扱う駅へと昇格している。当時は海岸線ルートをたどる現在の鹿児島本線は開通しておらず、この肥薩線が“鹿児島本線”と呼
 ばれ、多くの人々と物資の輸送を担う大幹線であった。駅のある吉松〜隼人間は明治36年には既に開通してはいたが、輸送力増強により増加してゆく列車本数に対応す
 るため、この深い山の中に列車交換を目的として開設された。周囲は人家は数軒ほどしか無く、静かな山間はいつも静寂に包まれている。往年の長大列車を受け止めて
 いた長大なホームと長い待避線が往時を偲ばせてはいるが、古い駅舎は撤去されて久しく、代わりにコンパクトな待合室が建っているだけである。

 今回、私は3度目になる九州秘境駅訪問旅として、南九州地区を重点的に回っていた。昨日は日南線の“福島高松駅”を訪問した後に、志布志からバスで都城まで抜け、
 3駅隣の“青井岳駅”をピストンで訪問した。その後、吉都線へ乗り換え、風呂へ入りたかったので京町温泉駅で下車し、駅から歩いて数分のところにある“いこい荘”という
 宿に300円を払って久しぶりの入浴を楽しんだ。少々熱いのが難点だが、岩風呂の雰囲気はなかなか良くて充分暖まった。すっかり日も落ち、涼しくなった夜風に吹かれな
 がらホームで列車を待つ時間は非常に気持ちが良い。しかし、発車時刻を過ぎても列車はやって来ない。その後7〜8分ほど遅れてようやく来たが、終点の吉松駅で肥薩線
 への乗換え時間は1分だけなので少し心配になった。列車に乗りこむが、なんと乗客は私以外だれも居ないではないか!本当に乗り継ぎを取り計らってくれるのか心配にな
 り、運転士に話し掛けると、「大丈夫です、待たせておきます」と言うので、ひとまず安心。到着した吉松駅で私一人のために待たせておいた列車に乗りんだ。こんなことで
 本当に大丈夫なのか?と思ったが、午後8時近くとなってしまうと列車を利用する学生やお年寄りは誰も外出しないらしい。
 
 そして私は今夜の宿として決めていた“嘉例川駅”で下車した。この駅はなんと明治36年の路線開業当時からの駅舎が残っていて、内部の造りや装飾に独特な雰囲気が
 あり非常に素晴らしい。駅前の水道とあずまやのある公園で、遅い夕食を作って食べることにする。旅の夜空に乾杯しながら缶ビールを空け、駅舎に戻って明日の旅路を
 思いつつ始発列車までの睡眠をとるこにとした。翌朝、外は生憎の雨模様ではあったが、周囲の撮影をなんとか済まして列車を待つ。そのうち7人ほどの乗客が集まって来
 たのだが、私がここで一夜を明かしていたなんて誰も想像しなかったであろう。こうしてやって来た3両の列車は学生で超満員で吃驚してしまった。旅人たる私など完全に浮
 きまくっている状態であった。まあ、そんなことも特に気に留めても仕方ないし、2駅先にあるこの“表木山駅”で早々と降りてしまうのであった。 想像していた通り、降りたの
 は私だけで乗ってくる人は誰もいない。ここで吉松行きの列車と交換して行くが、双方の列車が行ってしまうと辺りは静寂に包まれた。遠くに沢の音を感じつつ、人気の無い
 駅構内を散策してみるが、取り立てて大きな発見があった訳ではなかった。待合室でしばらくボーっとして見るが、体は運動を要求しているようだ。既に雨も上がっており、
 次の列車まで1時間余りもあるので、2.1km先にある隣の“中福良駅”まで歩いて行くことにして、この山間にある信号場くずれの駅を後にした。