2013/12/06 作成

上有住駅



釜石線 上有住駅  晩秋の早朝、季節外れの雪に身も締まる

      

一帯に人家は無く、離れて鍾乳洞があるだけ      駅前は展望台になっているが誰もいない


      

“アリス”というメルヘンチックな駅名からは想像できないほど山奥だ     去りゆく列車を寂しく見送った

 

     訪問日記    2013年11月13日 訪問

  ここは釜石線の“上有住”という小さな駅。付近はまったくの山の中で人家は無く、徒歩3分のところに鍾乳洞があるだけだ。それでは先に“滝観洞(ろうかんどう)”の話をし
 よう。頭に滝が付く通り、入り口から880mのところに高さ60m、周囲50mものドームが形成され、天井の大理石の裂け目から落差29mの滝が流れ落ちている。“天の岩戸の
 滝”という名があり、洞内滝としては日本一とのこと。さらに渓流の反対側には、“白蓮洞(びゃくれんどう)”がある。洞内に“大広間”と呼ぶ空間があり、さまざまな石柱や石
 筍などが数多く展開され、自然の造形美が堪能できる。余談だが、滝観洞は映画“八つ墓村”のロケ地にもなったそうだ。

 ゆえに一帯は洞窟の名勝地のため、駅の利用者は洞窟見学の観光客に限られ、一般的な利用者はいない。さらに特異な立地であるため人家が建ちにくい背景もある。駅
 名の“住”に由来する住田町にとって唯一の鉄道駅だが、駅周辺に住むには様々な場面で不便を強いられる。2007(平成19)年3月に開通した仙人峠道路に滝観洞ICが設
 置されたが、町の中心部にある役場へ行くには、平倉から国道340号線で大きく迂回しなくてはならず、1通の住民票を取るために役場へ行きたくても鉄道は使えない。それ
 でも仙人峠道路の開通前は狭く屈曲した県道167号を通る他なかった。さらに釜石方面へ出るには険しい山々に阻まれ、地図を見るだけでウンザリしてしまいそうな箱根峠
 は狭小で大型車が通行できないほどであった。その県道も2011年3月11日の東日本大震災で大規模に崩壊し、未だ復旧のめどが立っておらず、まさに高規格道路に救わ
 れた地域である。

 一方、駅は1950(昭和25)年10月10日に国鉄・釜石線の足ヶ瀬〜 陸中大橋間の開通時に開業している。釜石の鉱山と製鉄所を擁する重要な路線であるにも関わらず、開
 通は戦後になった。あまりにも不自然だが、その理由は眼前に壁のように立ち塞がる、件の仙人峠に他ならない。もとは西側の岩手軽便鉄道が仙人峠駅まで、東側の釜石
 鉱山鉄道が大橋駅(現・陸中大橋)まで通じていた。双方とも762mm軌間の軽便規格だったが、その後の国有化とともに1067mmへ改軌されている。けれども、西側の足ヶ瀬
 〜仙人峠(廃線)は最後まで762mmで残り、未開通の仙人峠から大橋までの物資は“索道”で運搬されていた。しかし、旅客は索道といえどもロープウェーなどという生易し
 いものではなく、5.5kmにおよぶ“徒歩連絡”を長年強いられていた。仙人峠の標高が560m、陸中大橋駅のそれは254mで、306mもの標高差がある。さらに間には標高887m
 の峠があり、旅客は2時間半から3時間を掛けて険しい山道を歩いていたのである。また“駕籠”の便もあったが、花巻〜仙人峠の鉄道運賃よりも高い運賃を徴収していた。
 おまけに駕篭かきが追加の金を旅客から巻き上げるなど素行が悪く、地元の新聞で不評を書き立てられるほどであった。それでも需要が多かったのか、戦後までこの駕籠
 の運行は続けられたという。この地には道路だけではなく、鉄道にとっても険しい隘路であったことが窺えるエピソードが残されている。

 
 駅は1面1線の単式ホームだが使われていない2本の側線が見られる。その昔、峠越えの蒸気機関車が活躍したころに使われたのであろう。駅舎は倉庫と待合室を兼ねた
 木造の建物だが、洞窟の観光客を意識しているかに見える。さらに釜石線は、別称“銀河ドリームライン釜石線”として、かつての国民的作家・宮沢賢治の作品に由来する
 イメージ作りに力を入れている。作品中に登場する架空の理想郷をエスペラント“例:Ihatovo・イーハトーヴォ(岩手)”で表しており、この駅は洞窟を意味する“Kaverno・カヴ
 ェルノ:(洞窟)”という愛称が付けられている。しかし、この上有住駅の将来は暗く、すでに厳しい現実が訪れている。観光客の足が、仙人峠道路を通って滝観洞ICに乗降
 する観光バスに変わり、存在意義が無くなりつつあるからだ。事実、駅前の展望台にある案内板の状態を見る限り、すでに観光客が遠ざかっていると言わざる得ない。高
 規格道路の開通によって、観光客は気軽に行けるし、洞窟の関係者にとっても抜群の集客効果で観光収入も増えるし、地域にとっては喜ばしい状況になったであろう。だ
 が、その陰で存在意義を失った駅がある。これこそが秘境駅の真骨頂とはいえ不用意に喜べるものではない。鉄道ファンは、ともすれば懐古趣味の塊だ。地域の発展を願
 うよりも、無くしてしまうことに長きに渡った鉄道の歴史に畏怖さえ感じる生き物なのだ。鉄道が地域の発展に寄与した時代なんてとっくの昔に終わってはいることなど重々
 承知しているが、これを素直に認めることが出来ないのである。