2012/7/5 作成

昆布盛駅



根室本線(花咲線) 昆布盛駅  林の中に小さなホームが佇んでいる


      

花咲線の列車はキハ54系の単行で運転されている   待合室は狭いながらも造り付けの椅子を装備    水芭蕉が可愛らしい

      

寂しく雪が舞う無人のホームに胸が締め付けられる    待ち人が居るのか、一台の車が訪れていた   駅名標のような漁港の標識

    訪問日記   2005年5月17日 訪問
 
  ここは根室本線は末端を走る、通称“花咲線”の昆布盛駅である。開業は1961(昭和36)年2月1日で当初からの無人駅だが、北海道の秘境駅に多いJR化以前が仮乗降場
 だったものではない。恐らく車が広く普及する以前には相当数の利用者が居たのであろう。駅の構造は単純明快な1面1線のホーム。傍らに建つ小さな待合室はかなり痛んで
 おり、今にも体重で床が抜けそうであった(自身の問題とは考えたくない)。駅前には“北海道道142号根室浜中釧路線”が通っているが、車の通行量は少なくで終日静かな世界
 が保たれていた。心なしか林に響く小鳥のさえずりも美しく聞こえてくる。ホームから見渡す限り人家は無いが、裏手の坂道を300mほど下っていくと小さな漁港と町が形成され
 ている。ところで、函館本線に“昆布”という駅もあるが、こちらはソレが“盛って”あるのだ。何だかお得感が満載で嬉しい。ちなみにアイヌ語でコンプ(半濁点)は、もろにコンブ
 (濁点)と同義語である。駅名はコンプ・モイ(昆布の取れる湾)に由来しており、昆布が名産なのを裏付けているかのようだ。思わず中野物産の都昆布が食べたくなった。

 さて、かれこれ7年も前になった訪問だが、当時の取材メモを遡り、記憶の糸を繋ぎながら書いてみよう。自宅のある広島から、とある番組の収録で東京・渋谷(NHK)に来ていた。
 ところが収録が長引き、上野発の北斗星3号に乗るつもりが、発車時間が過ぎてしまった。こうなると特急券、寝台券は無効になってしまう。心焦るなか何とか収録も終わり、
 ディレクターさんからの打ち上げのお誘いを丁重にお断りして、タクシーで原宿駅へ乗り付けた。新宿、神田と忙しなく乗り換えながら上野駅のホームにすべり込む。東北新幹線
 のMaxやまびこ129号で追いかけ、福島22:14着。同駅22:31発の「北斗星3号」へ無事乗車。西村京太郎の鉄道サスペンスに出演しているような錯覚に囚われるのであった。
 ただし、余計な出費が、懐に大きなダメージを与えたことを付け加えておこう。
 ところで、いまはもう無いが、ぐるり北海道フリーきっぷは最強だった。首都圏からの往復に寝台特急のBソロ個室が使えるうえ、道内の特急(自由席)が乗り放題だったからだ。
 翌朝、長万部で下車して先を急ぐ。特急スーパー北斗1号とスーパーホワイトアロー9号で深川に向かい、普通列車で伊納駅を調査。その後路線バスで旭川に入り、特急サロベツ
 で名寄で下車してタクシーで智東駅、折り返して初野駅をそれぞれ調査。美深でラーメンをすすり、特急スーパー宗谷4号で旭川にたどり着いて宿泊。まるで営業マンなみのスケ
 ジュールであった。往復2日間を寝台特急で過ごすことは至福の時間なのだが、それだけにタイトなスケジュールにならざる得ないのである。
 
 旅の2日目、今度は東へ進路を取る。富良野線の学田駅に下車して調査。徒歩で富良野駅へ着き、普通列車で新得へ向かう。駅そばを掻き込み、特急スーパーおおぞら3号
 で釧路へ。駅弁に“さくらますの押し寿司”を買い、花咲線のボックスを陣取った。こうして2時間あまり、花咲線の絶景を楽しみながら、昆布盛駅のホームに降り立った。林のな
 か、凛とした空気に包まれる。駅の裏から集落へ続く道すがら、可憐な水芭蕉が咲いていた。思わず尾瀬の風景が脳裏によぎり、遠い昔に家族でハイキングに行ったことを思い
 出す。10分ほど歩いたであろうか、同名の漁港に着いた。突然、「ぼぉーーーーー」っと漁船の警笛が湾内に木霊した。大漁だったかどうかは窺い知れぬが、響き方に元気が
 あったので、きっと大漁だったのであろう。