2002/02/04 作成

特牛駅



山陰本線 “特牛駅” 静かな山間に古い駅舎  辺りを眺めてポツリと一言 、ホントに平成なのか?

      

ホームは自然の中にあって全く違和感を感じることはなく、実に素晴らしい    滝部方面から緑のトンネルを抜けて単行のキハ40がやって来た

    

特牛と書いて“こっとい”と読む   全国でも名高い難読駅である   改札口は味わい深い木製    駅名版も往年の姿をそのまま見せてくれる

  訪問日記  2001年12月18日 訪問

  この駅は“特牛”というが、“とくぎゅう”ではなく、“こっとい”と読み、全国に名を馳せる難読駅の一つである。由来は、ここが昔牧畜が盛んだった土地から、
 牝牛の意味を示す方言の“コトイ”から取ったという説と、日本海に面した小さな入り江を示す“琴江”から取ったという説があるようだが、どちらが本当なのか
 は判らない。
ここは673.8kmという長い距離を誇る山陰本線にあって、起点の京都からは631.1kmとほぼ終盤に近い山口県は豊浦郡豊北町という場所にある。
 延々と日本海沿岸を走る路線のなかでも、一帯は山に囲まれており、小高いホームからおおよそ見渡す限り、人家は10軒程度しか存在していない。それでも
 駅前には小さな食堂があり、こうした土地では貴重な存在だと思われる医院もある。さらに、駅から角島へ向かうバス路線も連絡しており、半ば地元住民の
 交通の要衝的存在といえる。だが、世の流れに逆らえるべくも無く、大半の人々は車を利用するため、利用者は少なくなった。さらに昭和3年9月9日の開業以
 来から建っている古くて風格のある木造駅舎も、近年まで商店が入っていが廃業してしまった様子。残された自動販売機も使われることなく、過ぎ行く日々の
 中で朽ち果ていた。

 今回、私は“冬の青春18きっぷ”を使い、未乗線区の宇部線と小野田線を乗り潰すため、地元の広島県・西条駅からやって来た。小野田線の本山支線に残る
 JR線最後の旧型国電・クモハ42型に乗車する目的もあって、早朝の山陽本線で広島に出て、山陽新幹線「こだま573号」へ乗り込んだ。列車は“ひかりレール
 スター”で使用される、速くて快適な700系の運用。しかも通常は指定席である車両が自由席である。2列+2列席のゆったりしたグリーン車並みのシートに自由
 席特急料金で乗車できる乗り得列車である。こうして、快適な旅路のスタートを切り、小郡(現・新山口)で降り、宇部線で雀田、そして小野田線でクモハ42の
 乗車を果たした。今回で2度目の車両だが、最近まで2両あったが、とうとう最後の1両きりになったという。初老の運転士に聞いたところ、これで故障したらもう
 予備の部品が全く無いから本当に最後になってしまうとのこと。もしかしたらこれで見納めになかと思うと、遠い昔、子供の頃に横浜線や南武線で乗った思い
 出と重なり、複雑な気持ちになった。

 こうして、宇部線と小野田線の完乗を果たし、山陽本線で下関へ着く。目前へ迫った九州へ渡らず、次は山陰本線へ乗り換える。昼飯の駅弁「ふく寿司」を賞
 味しながら、美しい日本海の車窓に目を奪われる。途中、小串で乗り換え、食後の睡魔に完敗した結果、危うく降りる予定の特牛駅を乗り過ごすところであっ
 た。列車を降り、周囲の撮影を済ませて待合室に入った。室内には多くのバックナンバーを誇る駅ノートもあった。一時間あまりの滞在だが、のどかな風景や
 駅ノートの閲覧に、しばし時の経つのを忘れてしまう程だった。やがて、列車の時間になったのでホームへ上がる。緑のトンネルを潜り抜け、黄色と白色の
 “広島色”の単行気動車がやって来た。吸い込まれるように開いたドアから乗り込むが、心はまだ駅にあった。沸き起こるエンジンの唸りにその思いをかき消
 されながら、あっけなく車窓から消え去って行った。