1999/10/15 作成

小和田駅



闇に佇む小和田駅   周囲は深い山中の無人地帯である

  

駅舎は古くて味わい深い  以前は有人駅であった       2面2線の駅構内で列車の交換が可能     レトロな駅名標。 良い味を出している

   
 
以前ここで結婚式が行われており、当時の写真がある     表をゆったりと天竜川が流れる     この駅は中部3県の県境に近い山間部にある

  訪問日記  1999年10月5日 訪問  以後数回に渡って訪問

  まず、今回の旅の目的は、「鉄道の日記念乗り放題きっぷ」を使って北陸地方のJR路線の乗り潰すことであった。しかし、私は旅の資金に困窮しており、宿泊代を節約する
 ため、一夜の宿を求めてやって来るという、半ば不純な動機であった。駅の周囲に人家や集落らしきものは一切無く、廃屋となった製茶工場が50mほど下に存在するだけで、
 いわゆる“何も無い場所”だ。しかも、線路の両側を長いトンネルに挟まれており、辺りは鬱蒼とした深山幽谷である。けれども正面には遠く太平洋へと注ぐ天竜川がゆったり
 と流れ、とてものどかな雰囲気を持ち合わせていた。かような場所ゆえ利用者は皆無に近く、存在意義も疑わしいものである。

 ちなみにここは、過去に皇太子殿下のお妃様である「小和田雅子様」と漢字が同じ(呼び名は異なる)駅であり、シンデレラ的幸運に肖りたいと、全国の鉄道ファンやもの好
 き達で列車は通勤ラッシュのように混雑した。ふだん誰もいないはずのホーム上は多くの人々で溢れ返っただけでなく、ここで水窪町の主催でバブル時代全盛期のなか、
 十二単(じゅうにひとえ)の結婚式まで上げてしまうカップルもいた。そんなブームの最中だった駅も今は何処に…? そう、過去の喧騒はとうに忘れ、元の静寂を取り戻して
 いたのである。

 少々前置きが長くなったが、今回私は豊橋発の最終電車に乗り込んだ。当初、比較的混んでいた車内も豊川、新城、本長篠と進むうちにパラパラと人が降りてしまい、中部
 天竜を出る頃には2両編成には私を含めて3人だけになった。しばらくして車掌が訪れ、「どちらまでですか?」と問うと、私は「小和田駅まで」と返した。車掌氏は私の格好
 から「寝袋はお持ちですか?」と問う。私のことをどうも“その道の人”と認識したらしい。正しい判断である。そして「持ってます」と返すと、「火には充分気をつけて下さいね」
 と言われた。「ハイ!」この車掌にはとても感謝している。世間に認知されていない私的な趣味のうえ、下手をすれば不審者と思われ通報されかねない所だが、JR東海の
 車掌氏は不可解な旅人の行動に理解を示してくれたのである。※勝手な思い込みか

 電車はゆっくりと闇の中を進み、やがて素彫りのトンネルを抜け、22:53を少し廻った所でようやく小和田駅へと到着。車掌氏に礼を言をいうと、彼の吹く笛の音とともに発車
 して行き、私一人が暗闇のホームにポツン取り残された。そう、この界隈は今夜、私だけのテリトリーとなった。さて駅の様子は…と 懐中電灯を付けて辺りを散策を開始。
 本当に凄い!なんという静寂感だ!さらに古い駅舎が人里離れた秘境の魅力を倍加させている。これぞ「真の秘境駅」と言わしめたる所以である。

 深夜の散策を終えて気が付くと空腹になっていた。そこでインスタントのヤキソバを作って食べていると、23:35頃に突然一切の電気が落ちた!「ヒェェェェェー」 もう真っ暗!
 光るものは公衆電話の使用可を表示する赤いランプと、外で赤く灯る鉄道の信号機だけ。さすがにビビッたが、慌てずにオイルランタンへ点火する。改札口の方は扉が無く、
 おびただしい数の虫たちが小さな光に集まってきた。ラジオをつけながら、長椅子の上に寝床をセットししばし佇む。外は満天の星空で虫の声だけが辺りに響いていた。
 そのうち睡魔が襲ってきたので、目覚まし時計をセットして深い眠りに着いてしまった。

 翌朝、自らセットした時計のアラーム音で起こされ、明るくなった外へ探検に出発!気味の悪い「愛」と書かれた恥ずかしい椅子や、廃屋の製茶工場や天竜川などを見ている
 と、電車がやって来る時間となったので、急いで駅へ戻った。トンネルの奥から「ゴーゴー」と音を立て電車は定刻通りにやって来てきた。車掌や他の乗客から奇異な目で見
 られたのも当然の結果だ。次回この付近へやって来たらまた“お世話”になろうと思い、名残惜しみながらこの山の中に佇む小駅を後にした。