2008年5月30日 作成

 真の秘境 黒部ルートへ! (黒部ダム〜仙人谷〜欅平)        2008年5月22日 富山県 公募見学会へ参加

  黒部ルートとは、日本電力(株)が黒部川第三発電所の取水予定地(仙人谷ダム)への資材輸送を行うために建設した 欅平から仙人谷までの
 軌道隧道(上部軌道)と、後に関西電力(株)が黒部川第四発電所、黒部ダムの資材運搬用として建設した黒部ダムから仙人谷までのルートを
 総称したものである。いずれも社運をかけた難工事であったことから、人員と資機材運搬に必要最小限度の設備となっており、現在も発電所や
 ダム、送電線を守るために欠かせない工事輸送用ルートになっている。

 秘境駅を訪ねる旅を始めて、かれこれ10年を数える。しかし、真の秘境地帯にある駅は未踏であった。その地は "黒部"。
 今回、この秘境地帯にある数々の駅を訪問する機会を得ることが出来たので、旅の模様と合わせて紹介しよう。

  

  初夏の陽気に額の汗が滲む2008年5月21日10:47分、私は山陽新幹線の東広島駅から「こだま636号」の4両編成へと乗り込んだ。
 シフト夜勤を明かした体は惰眠を貪るどころか、逸る気持ちに期待が膨らみ、少しばかり 気持ちが高揚している。今回は「飛騨・奥飛騨ゾーン」の
 周遊きっぷを利用した。往きのゾーン入口は、北陸本線 経由で富山から高山本線へ入る猪谷駅。そしてゾーン出口は、同線の下呂駅である。
 目的地は黒部の玄関口にあたる富山駅だが、2004年10月に発生した水害以来、およそ3年を隔て昨年の9月9日に全線開通してからの復活乗車も
 兼ねたプランを作成した。こうして、福山駅で11:31発の「のぞみ18号」の700系に乗り換えて新大阪で下車。そこから特急「サンダーバード21号」に
 乗車し、湖西線に入った頃から爆睡してしまい記憶が無い。こうして夕刻に終着の富山へと辿りついた。駅から少し離れた格安のホテルにチェック
 インして、今回チケットの手配をして頂いた同行の雑誌編集者と合流し、早速飲みに繰り出してしまう。

  富山へ来たらこれはもう、富山湾の宝石と言われる「シロエビ」。身が小さく、刺身だと1人前は約70尾にも上り、これを1尾ずつ手で殻をむいて
 仕上げるという、非常に贅沢なものだ。その味わいは決して甲殻類独特の風味を主張するものではないが、「ほのかに上品に香る独特なコクと
 甘さ…」 グルメ評論家ならこんな具合に書き下ろすのだろう。刺身とかき揚で頂いたが、確かに旨い。ただ上品な味覚が未発達のため、ストレートな
 表現でしか感じないのが少々情けない… こうして2人は一夜のささやかな酒宴を終えたが、胃袋の欲求により、「吉野家の牛丼」に向かったことを
 白状しておく。やはり庶民とは、かような体に出来ているのだろう。

 

  翌朝、同行する編集者は更に一人増え、今回の見学会を申し込まれたご家族の方々と総勢6名が電鉄富山駅 (富山地方鉄道)へ集合した。
 そして6:28の普通電車で終着の立山駅までおよそ1時間乗り、そしていよいよ立山黒部アルペンルートが始まるのだ。
 そこで黒部湖まで乗り通す乗車券を購入し、前日の酒で足元がフラついているせいなのか、前後に揺れる立山ケーブルカーへと乗り込んだ。
 立山砂防鉄道のスイッチバックを横目に標高差 500mあまりを一気に駆け上がると美女平駅だ。周囲には残雪がちらほら見えて肌寒いが、
 絶好の好天に恵まれ、これからの旅に幸先の良さを感じる。そして環境に配慮したハイブリッドバスに乗車し、次第に迫り来る白峰の険しさに
 身が引き締まる。そして道路の脇に10mを越える雪壁の高さに驚き、今回のルートの最高地点になる 標高2450mの室堂に到着した。
 外気温は0℃で下界との気温差はおよそ20℃。ここへ来るにはしっかり意識して 防寒着を忘れないようにしたい。更に乗り換えを要する行程は
 進み、次は立山(3015m)をくり抜いたトンネルを走るトロリーバスだ。架線が張られた 狭いトンネルの中を、モーター音を唸せながら突っ走る
 バスは異様にカッコいい!我々叔父さん達は完全に興奮 状態となり、他の乗客たちの目前へその稚拙な醜態を晒すのであった。

 

 
 大観峰に到着した我々は更に立山ロープウェイで黒部平、そして黒部ケーブルカーで真っ暗闇のトンネルを 降りるとそこには… デーンっと
 黒部ダムの雄姿が!戦後の朝鮮動乱を契機とした日本の経済復興を支えるため、当時の関西電力が社運をかけて取り組んだ巨大なダムは、
 世紀の大事業として今に語り継がれている。 そのアーチ式のダムの上を800mほど歩き、対岸にある関電トロリーバスの黒部ダム駅へと到着
 した。上部軌道を含む黒部ルートを見学できる公募者は、1日あたり30名に限定される。平成20年度は年間34回開催され、今回私たちが参加した
 見学会は、年を明けた初回であった。集合場所に集まると参加者に関電の社紋が入ったヘルメットが渡され、全員装着した姿は、他の多くの
 観光客の中にあってひときわ異彩を放つ。そしてこれから 先の案内役となる関西電力社員の説明を拝聴した後、先導されて狭い作業用通路に
 通された。

 

  いよいよ幻の黒部ルートだ!期待に胸の鼓動は高まり、はやる歩みに弾みが付いてしまいそうだ。まず一つ目の乗り物は、ごく普通のバスだが、
 延長10.2kmに及ぶ漆黒の闇の中を進んで行く。素彫りのトンネルは破砕帯を含め、その工事区間には様々な苦労が刻まれているのだ。
 その途中でバスは一旦停車し、参加者は作業用トンネルに案内 されて2〜3分歩き、終点にある頑丈な鉄格子を開けてもらう。するとそこに現れた
 のは北アルプスの絶景! なんと言っても驚きを禁じえなかったのは、鋭い頂きで知られる鹿島槍ヶ岳(2889m)の裏側を拝めたのだ。この見学会に参加
 しない見ることの出来ない貴重な姿なのである。こうしてバスは地下にある黒部川第4発電所の上部に位置するインクラインの乗車口に到着した。

 

  インクラインとは 「斜坑ケーブル」のことで、その搬器はケーブルカーのような構造だが、レールの上には鉄骨で組まれた大きな フレームがあり、
 その上に我々が乗車する銀色の車体が鎮座している。その車体は発電所向けに大きな構造物 を運搬する際には取り外し、直接フレームの上に
 構造物を積んで運搬する仕組みになっている。その斜度は最大 34度だが、鉄道ファンに解り易く説明すると、全長815mを高低差456mまで登る
 勾配とは、何と559.5‰(パー ミル)に相当するのだから驚いてしまう。但しそのスピードは時速2.5kmほどで歩くよりも遅いが、トンネル脇に延々と
 続く2300段もある保守用の階段を使うとなると、余程のアスリートでなければ勝負にならないという。

 

  こうして、関電社員の案内を聞きながらおよそ20分で黒部川第4発電所に着いた。地中深くに巨大な秘密基地が!考えられない規模である。
 しかも昭和30年代の戦後復興を終えたばかりの貧しい日本に、これだけの事業を成し遂げたことに驚きを禁じえない。まず上部軌道のホームを
 横切り、大きな 会議室へと通された。ここではPRビデオを視聴し、しっかりと予備知識を充電した後、いよいよ発電所内部の見学となった。
 この大きな地下空間に巨大な水車が4基据えられ、たゆまなく回転する水車は電気を生み出している。 火力や原子力発電所と異なるのは、
 水と地形と天候の力を利した完全な循環型クリーンエネルギーであることだ。発電効率こそ劣るが、容易に出力を調節することが可能のため、
 季節や時間帯によって変化する電力需要にうまく対応している。そして、お昼の休憩後には、いよいよ上部軌道のバッテリートロッコ列車に乗車
 するのだ。 上部軌道とは黒部峡谷鉄道の終点である欅平駅から先、途中の竪坑エレベーター(200m)を含む、7.2kmの 工事や発電所関係者の
 専用鉄道で、一般者は乗車することが出来ない。そこを今回、黒部川第4発電所側から 一般社会へ戻るために小さなバッテリートロッコ列車へ
 乗車することになった。

 

  「黒部には怪我人なし」と言われるのは、いったん谷に落ちたらケガでは済まず、"即死"を意味するからだ。そのため、このような可愛い列車でも、
 ここでは絶大なる存在感を誇っている。関電の社員に促されるように頭をぶつけながら狭い車内に乗り込む。定員は一両あたり10名で満員という
 狭さだ。ガタゴトと強い振動と大きな走行音を響かせ、"高熱隧道"(吉村昭著)の世界へと突入する。そこは建設時に岩盤の温度が摂氏160度以上
 になる火山帯に当たったためで、その工事は熾烈を極めた。作業員へ常に放水しながらの掘削は、屈強の男であっても20分しか持たなかったという。
 更に発破で使うダイナマイトも高温で自然爆発を起こし、多くの犠牲者を出したという正に地獄の世界であった。また周囲の急峻な地形は、圧力を
 伴った泡雪崩(ホウナダレ)を誘発し、小屋ごと反対側の谷壁へ飛ばされ、多くの作業員の命を奪うなど、黒部という場所は厳しい自然環境ばかりを
 集めた局地なのである。

 

  こうして、列車の窓は高熱(現在は40℃程度)により曇り、硫黄の匂いが立ち込める中を抜けると、途中駅の「仙人谷駅」に着く。ここは橋梁の
 真上で、正面には仙人谷ダムの雄姿、そして真下には深くえぐられた峡谷が! これこそ、ホンモノの秘境駅に間違いない。ここへ徒歩で到達する
 には欅平から水平歩道(13.6km)が続いているが、屈強な体力を要するだけでなく、命を落とす覚悟で望まないと到達できない。※毎年4〜5名が
 亡くなっている… また、一般には開放されていないため、気軽に列車で訪れることも不可能であり、こうして公募による見学会以外、訪問することは
 叶わないであろう。再び列車に乗車した我々一行は欅平上部駅へと到着した。ここからは水平移動できないため、中に軌道の敷かれトロッコ1両を
 スッポリと飲み込んでしまう、巨大な竪坑エレベーターへ乗り込んだ。

 

  その高度差は200mもあり、ビルの50階に相当するというから驚きだ。およそ2分で今度は欅平下部駅と到着し、黒部峡谷鉄道と繋がる工事用
 トロッコ列車に乗車し、一旦スイッチバックでエレベーター構内を出た後、そろりそろりと黒部峡谷鉄道の欅平駅へと到着した。ここで今回の公募
 見学会は解散となった。好天に恵まれたせいか、秘境とはいえ多くの観光客で溢れかえっていたが、それだけ秘境というものに人々の心は動かされる
 ものなのだろう。この先は一般客の乗車できる 黒部峡谷鉄道のトロッコ列車で宇奈月、そして富山地方鉄道で電鉄黒部へと山を下ることになった。
 このたった一日で本当に貴重な経験をさせてもらったことに非常に感謝している。建設の現場に命がけで戦った人々、そして電力会社の人々の
 力添えがあり、こうして部屋に電灯が灯り、かつ電車も動くのだ。 我々鉄道ファンにとっても非常に価値ある時間となろう。 (つづく)