2003/1/8 作成

串駅

山と海と青空に挟まれた海辺の小駅   ここでのひとときは、雑多の日常を忘れさせてくれるだろう

    

“串”という不思議な名前を持つこの駅に、時刻表を眺めながら貴方はどんな駅を想像しただろうか?  ホームから少し高台に上ると瀬戸内海の絶景が!


   訪問日記   2001年11月15日 訪問

  ここは、四国は愛媛県の予讃線にある小さな駅。“串”という不思議な名前を持つ駅に、少年のころ時刻表を眺めているのが無性に好きだった私は、一体どんな駅
 なんだろう?と、見果てぬ夢を抱いていた。当時はもちろん国鉄時代で、ここは四国の大動脈である予讃本線として、特急「しおかぜ」、急行「うわじま」をはじめとす
 る多くの優等列車が長編成を連ねて日夜行き交っていた。だが、海岸線に沿った線形は勾配やカーブが多く、高速化の障害となっていた。その後、JR化される前年
 の昭和61年3月3日、五郎から延びていた盲腸線の内子線が、向井原まで新線として延伸された。今まで使われていた路線は、そのまま“予讃線”として残るが、実
 際には普通列車が細々と走るローカル線になってしまった。
 
 しかし、高速化によって長大トンネルで突き抜けて行く路線に、美しい車窓は期待できない。やはり伊予灘に沿ってノンビリと走るローカル列車にこそ旅のだいご味が
 あろう。なかでも、“串駅”は一段と風光明媚なところにあり、周囲に人家は数軒ほどが確認できるが、そのうちの1軒は国道沿いにある小さな商店であった。もう少し
 人家があるかも知れないと考え、高台へと続く細道を歩いて行くと、まるで崖地にへばり付くよう幾らかの人家がひしめいていた。けれども、少なからず廃屋も見られ、
 モータリゼーションから取り残された場所に、将来への生活像を見出すことは難しいと言わざる得ない。それでも駅にやってくる列車は1時間に1本はあるので列車で
 の訪問は容易いため、車が無くても街へ出るための手段には事欠かないものと思われる。
 
 さて、私事で恐縮だが、この世に生まれてから今まで34年間の人生を東京都の八王子市で暮らしてきた。しかし、サラリーマンとして不本意ながら“転勤”を命じられ、
 2001年10月25日に広島県の東広島市へ越して来た。当初、慣れない土地での新生活に右往左往しながら過ごしていたが、少し慣れると、もう遠出がしたくなった。
 こうして今回、日帰りであったがバイクで四国へと渡る旅に出発した。ちなみに陸路の“しまなみ海道”の通行料がバイクで4,200円もすることが判明。急遽フェリーで
 渡ることにした。竹原港から波方港まで1時間10分しかかからず、バイク込みで1,900円と半値以下であった。瀬戸内に浮かぶ数々の島を眺めながらゆったりと上陸。
 海辺の国道を南下すると、坊ちゃんで有名な松山市を通って伊予市へと抜けた。さらに国道378号線で小さな峠を越えて、まず“高野川駅”を訪問。駅までの道が道
 標も無い上に、細くて解りづらかったが何とか到着。そこは“みかんの木”が茂る民家の下にひょっこりと現れた。秘境駅としては、一定のレベルに達しないため紹介
 しないが、なかなか素晴らしい駅であった。

 そして、青春18きっぷのポスターでおなじみの“下灘駅”にも寄って見た。古い木造駅舎が残り、ホームにある背の高い屋根の上屋が印象的。小学生らしき子供達の
 集団が列車待ちをしており、ホームは格好の遊び場となっていた。まあ、くれぐれも列車には注意してもらいたいものだ。最も海に近い駅として、知られてはいるが、
 実は海との間に国道が走っていたり、同様な触れ込みの駅は全国に幾つもあるため、特出した存在ではないが、なかなかフォトジェニックな雰囲気であった。
 こうして、寄り道をしながら“串駅”へ到着。バイクを降りてホームに上がると、細い道がとある家の“お墓”へと続いている。途中に瀬戸内海を大きく展望できる場所が
 あり、夕暮れに潮風に吹かれながら黄昏てみるのも一興であろう。しかし、時間が既に16:00頃に迫っていたため、そろそろ本州へ戻らねばならない。往きと同じルー
 トを辿り松山市へと出て、帰りのフェリーは堀江港から呉港(安芸阿賀)へと渡ることにした。こちらはバイク込みで2,700円で1時間50分の船旅だ。運良く出港5分前に
 滑り込めたのはラッキーだった。そんなフェリーを使って日帰り旅が出来るのも、今までは叶わなかったが、広島へ来て現実になった。これは、しばらく旅の虫が収まり
 そうにない。