「秘境駅を守りたい」

  周囲に人家が少なく、多くの利用者が見込めない秘境駅。近年になって日常からかけ離れた独特な空間を
 求め、多くの旅行者が訪れるようになった。とても喜ばしいことである。
 しかし、秘境駅の現実は、“お金を生まない”。無人駅だから当然といえば当然だが、利用者も非常に限定的だ。
 時折、興味本位で乗降する訪問者が居たとしても、青春18きっぷや、地域限定のフリーきっぷ等を使う傾向に
 あるため、路線の収支に寄与することも難しい。

 過疎化のなか、高校生などの定期利用者も、やがて自動車免許を取って鉄道から離れていく。そして彼ら彼女ら
 の多くは産業の少ない地元を捨て、都市部へと巣立って行くことだろう。
 残されたお年寄りも次第に足腰が弱まり、駅までのアクセスにも事欠くようになる。こうなると、自治体やその協力
 を得て運行される“地域巡回バス”や、“福祉タクシー”などに頼らざるを得ない。
 さらに、飯田線の「小和田駅」にいたっては、車道が一切無く、およそ1kmほど離れたところに住む、80歳を越えた
 老夫婦のためだけに存在している状況だ。

 このような経緯で、冷静に考えると秘境駅の未来は明るくない。利用者が居なくなれば、間違いなく廃駅への道を
 辿る。ひとたび廃駅になると、ここに生きて来た鉄道文化は失われる。やがて何も無くなり、人々の記憶からも消え
 去られてしまう。とても厳しい現実だが、このまま黙視、放置していて本当に良いのか? 私は、これを救えるのは、
 鉄道ファンだと信じている。いや、鉄道ファンの使命である。一人でも多くの旅行者に「秘境駅」の魅力を伝え、
 写真や映像というイメージだけでなく、実際に訪れて欲しいと思っている。こうした流れは、やがて鉄道会社を動
 かし、地域の活性化にも繋がる原動力ともなろう。

 いまや何でも効率や採算、スピードばかりが求められる時代だ。これが本当に良い時代なのであろうか?
 そんなに周りを見ず、目的地へ向かって一目散に急いだところで、結局、削られるのは、自分に与えられた余暇と
 お金だ。少なくとも、そこには文化が生まれることも育つこともない。人間として将来を担っていく子孫たちへ何を
 伝えるのか?
 私は大好きな秘境駅を守りたい。ノスタルジーだの鉄道ファンの我侭といわれようが構わない。大切な駅が無くな
 れば全てが終わってしまうのだから。


                                            2010年3月2日  秘境駅訪問家 牛山隆信