2001/9/27 作成

真布駅



留萌本線 「真布駅」 夕暮れ時に寒さが凍みる。さあ、心暖まる木造待合に入ろうか。

   

見通しの良い石狩平野に佇む木造待合。 永年の風雪に痛んだ板張りは、乗降客を守ってきた名誉の負傷だ。

   

新たに“筋交い”が張られて補強された。まだまだ使っていく姿勢に感謝!!   待合室内に掲げられた駅名標。ノスタルジックで微笑ましいアイテムだ。


  再訪日記   2009年1月18日 訪問

  ここは7年半ぶりの再訪となった。前回は真夏だったが、今回は真冬である。今まで何度となく訪れて来た北海道。駅とそれを取り巻く風景などは容易に想像出来るが、
 やはり現地に立った時の達成感や臨場感には遠く及ばない。私にとって“秘境駅”というものは、一度訪れただけで終わるものでは無い。季節、日時、天候、そして到達した
 方法など、それら一つでも違えば、駅は表情を変え、また受け取り方も異なる。そして、自身の成長(または退化?)によって、モノの見方、捕らえ方も変化して行く。旅とは
 新たな土地へ踏み出すだけでなく、このような変化も楽しめる人生最高の趣味と言えよう。

 さて、今日は宗谷本線の秘境駅訪問を終え、延々と普通列車を乗り継いで南下してきた。そして、旭川から特急「スーパーカムイ28号」に乗車。新鋭789系電車の快適な
 乗り心地を堪能する間もなく、最初の停車駅の深川で下車。ここで混雑した留萌本線のキハ54に乗り換え、前方のデッキで展望を楽しむ。途中の北一已、秩父別、北秩父別
 に木造の駅舎や待合室がそのまま残されていることに安堵する。こちらはまたの機会にゆっくりと訪れてみたい。こうしてやってきた「真布駅」。到着は13:42で、出発は16:52。
 3時間10分という長い時間をたっぷりと味わう。日の高いうちに1時間半程度で撮影を済ましてしまうと、もう何もすることは無くなった。扉しか窓の無い薄暗い待合室の中、
 缶ビールを開け、柿の種など食べる。しーんと静まり返った室内に、ゴリッ、ゴリッと噛む音だけが響く。今までの自分だったら、一体俺は何をやっているんだ?もっと他に
 やることがあるだろう?なんて、自問自答を繰り返しただろう。しかし、あえてこうした“不毛な時間”を作ることが、人生にとって大切だと知った。このような時間を過ごすことで、
 雑多の日常から開放する。そして、脳内に飢餓状態を作り、新たな発想を生み出す環境を整えることができる。旅に生き急ぐ行為は必要ではないのである。
    




留萌本線 「真布駅」 鄙びた木造の待合室は風が吹くとギシギシと悲鳴を上げる。 

    

青空が広がる石狩平野にポツンと板切れホームがある   木目剥き出しの待合室内の椅子には埃が積もっていて、長いこと使われていないのだろう

   訪問日記   2001年8月11日 訪問

  この“真布駅”は、この留萌本線にある北秩父別や東幌糠ほどではないが、普通列車でも通過してしまうことの多い利用者の少ない駅である。周囲に人家は7〜8軒が
 散在しているため、秘境という雰囲気には欠ける。しかし、広大な石狩平野のなか、板切れのホームと鄙びた木造の待合室がポツンと存在しているだけで、多くの人が集
 まる様子はない。この待合室の屋根は何故か高い上に傾斜がキツいという独特な形状をしている。冬季の積雪対策と考えられるが、その形状が災いしているため、風が
 吹くと建物がギシギシと悲鳴を上げる。別に倒壊する程の風が吹いている訳ではないのだが、薄暗いこの待合室の中で静かに佇んでいると、何やら奇妙な恐怖感に襲わ
 れるのであった。 
 
 今回、青春18きっぷで日本一周として秘境駅訪問を成し遂げる行程において、この留萌本線は外れてしまった。しかし、前回この線区の秘境駅は“東幌糠”しか訪問して
 いなかった。そこで、同線にある“北秩父別”の訪問を終えたが、生憎都合の良い列車が無かったので、隣の石狩沼田駅へと歩みを進めた。炎天下のお昼時、例によって
 鉄道と道路は全く並行しておらず、1.5kmも遠回りする羽目になった。こうして難儀の末に石狩沼田へ到着した私は、駅前の食堂で“卵丼”を食した後、駅の待合室で列車を
 待つことにした。ここは委託の人が切符を売っている。しかし、駅前から発車するバスの切符販売がメインなのでであった。
 
 せっかく石狩沼田から乗った列車もたった一駅で降りてしまう。板張りのホームに降り立つと、体重でそのホームがたわむのが分かる。いつも通り周囲の観察と撮影を済ま
 せ、この鄙びた木製の待合室へと入る。作り付けのベンチは埃が堆積しており、長い間ここに座る人は居なかったのであろう。ここにじっと佇んでいると、吹き付ける風で建物
 が悲鳴を上げる。やがて、遠くから鉄路の轍を踏む音が聞こえて来た。発車した列車の後方に目をやると、駅が何だか寂しそうに見送っているような気がしてならなかった。