2001/06/02 作成

薩摩塩屋駅

草生した南国の無人駅に今日も一日を終える夕暮れが訪れる

      

駅前の木がここに駅舎があったことを物語っている      駅前には人家は少なく、草生した広場が広がっていた

       

錆び付いた側線の終点に、大きく湾曲した車止めはまさに“鉄の造形美”  過去へ戻るタイムマシーン“キハ58系”急行型気動車

   訪問日記   2001年5月10日 訪問

  ここは、指宿枕崎線の終点・枕崎駅から3駅手前にある無人駅だ。周囲に人家が数軒ほど見えるが、集落は遠い場所にあるためか、うら寂しい雰囲気が漂っている。
 駅前は草生した広場になっていて、中央に大きな木が植わり、恐らく以前は立派な駅舎が建っていたのであろう。その跡地には何もないと思われたが、大樹の陰にひ
 っそりと水道が隠れていた。古いデザインをした真鍮製の蛇口をひねってみると、水が出てきた。緑地となったこの広場は、テントを持ち込むと快適なキャンプサイトに
 変わる一面性を持っているのであった。さらに駅構内には錆び付いた側線が残り、レールを大きく湾曲させた車止めが存在感を主張する。何やら造形美にある種の芸
 術を感じてしまったのは私だけであろうか?ちなみに、現在使われているホームは片面だが、良く見ると島式の形体をしている。恐らく以前は列車交換をしていたので
 あろう。

 今回、私はここへ日豊本線の“竜ヶ水駅”を訪問した後、食料調達のために西鹿児島(現・鹿児島中央)駅で降り、駅前のスーパーで食料と少量アルコールを購入した。
 こうして指宿枕崎線の普通列車に乗り込み、左手に錦江湾を見ながら幾つもの小さな駅に停車しながらようやく指宿駅へ到着した。ここでは約50分の待ち時間があり、
 駅から左へ2分ほど歩いた所にある“松元温泉”という銭湯へ入った。ここは、昔ながらの雰囲気を持った街の銭湯であるが、有名な温泉地である当地にあって泉質は
 他のそれと変わらることなく、300円という低価格で味わえた。久しぶりのお湯にさっぱりして、指宿駅のホームに上がり、心地よい風に吹かれながら列車を待っている
 と、ほどなく山川行きの列車がやってきた。快速「なのはな」と名付けられた列車の黄色の車体は、目に刺さるほどの強烈な鮮やかさであった。快速とはいっても次の
 山川駅で早々と乗り換えてしまうが、駅へ到着するやいなや一瞬目を疑った。そこにはあの国鉄色であるクリーム地に朱色のキハ58系が停車しているではないか!
 こうして嬉しくなるのは、過去に幾度も乗車しているため愛着があるからだ。
 
 ひとまず日本最南端の駅である“西大山駅”を後で訪問するこにして、さらに先へと進む。この線区で秘境駅の候補として挙げていた幾つかは、残念ながら一定の水準
 に達していなかった。このまま行ったら終点の枕崎駅へ到着してしまう心配を抱えながら先へと進んだ。次第に前面展望に力が入っていたところ、この“薩摩塩屋駅”へ
 到着。ここは今まで見送って来たどこよりも周囲に人家が少なく、広い畑のなかにポツンとある駅だった。こうして半ば条件反射的に列車を降りて行くのであった。こうし
 て少ない列車本数のなかで降りるというのは、まさしくギャンブルのようなものだ。せっかく降りたはいいが、雰囲気が悪くガッカリしてしまうことも多く、一度の失敗で後の
 プランに大きく影響することさえある。
 
 話しが長くなったが、この駅は私の期待を裏切ることはなかった。勿論、レベルの高い秘境駅ではないが、駅の魅力はそればかりではない。往年の姿をひっそりと残す
 幾つもの鉄道遺構も見つけることも出来た。こうして探索をしながら列車を待っていると、終点の枕崎駅で折り返してきた先ほどの国鉄色キハ58系がやってきた。私は
 一気に昭和へ逆戻りした気分になり、感慨深く列車へ乗り込んだ。2エンジンの咆哮を響かせながら急行型気動車の堂々とした走りは、私の体と脳裏に深く染み込んで
 いった。