2000/1/18 作成

為栗駅

飯田線 “為栗駅” 難読な駅名だが“してぐり”と読む     この駅は天竜川の辺りにある実に長閑な駅である

       

この駅は、周囲に人家が2軒だけ     車道は吊橋を使って対岸からやってくる     待合所は吹きさらしのタイプで作り付けの椅子がある


   訪問日記  2000年1月13日 訪問

  この駅は全国有数の難読駅として知られており、駅名は「してぐり」と読む。駅前には川幅の広がった天竜川を望み、対岸への車道へと続く吊り橋との組み合わせ
 が印象的だ。周囲に人家はわずか2軒だけ。以前は川岸に沿って集落が点在していたが、下流にある平岡ダムの工事によって水位が上昇したため、大半の人家が
 水没してしまった。急峻な地形によって人々の往来が妨げられて来たことで、時代から取り残されたような情景を生み出した。いわば昭和の面影を色濃く残すもので
 ある。その昔、大きく蛇行しながらゆったりと流れる天竜川は、舟が主な交通手段であった。そんな時代ここは、信州(長野県)から遠州(静岡県)へ向かう舟の舳先
 (へさき)が、進行方向と逆に向くことから、信州を振り返るような姿を指して“信濃恋し”と呼ばれた名勝である。いまほどに先を急がない時代だったからこそ生まれた
 名言であろう。

 この為栗駅の訪問にあたり、今回は冬季18きっぷの余りを利用した“飯田線秘境駅訪問旅”として出発した。偶然にも当日発車する“ムーンライト.ながら”の指定券が
 キャンセル待ちで取れた。始発の東京から乗車したが、そこは15番という車端の席であった。ご存知の方も居ると思うが、373系にはデッキとの仕切り扉が無い。その
 ため、停車駅ごとに寒い風は入ってくるわ、駅のアナウンスや発車ベルは五月蝿いわでほとんど眠れず、体調的には最悪な状況へ追い込まれた。そんな苦い思いを
 残しながらも豊橋駅で下車し、駅前のコンビニで食料を調達。待つこと2時間あまり、やっと飯田線の一番電車に乗りこむことが出来た。始発の豊橋から中部天竜まで
 の区間は人家が多く、これと言った秘境駅は無いが、“柿平駅”と“相月駅”はなかなか雰囲気が良い。電車はトンネルと鉄橋が連続する峡谷部へと突入。大嵐、小和
 田、中井侍、伊那小沢と興味深い駅が続く。沿線の中心駅である平岡では27分停車ということだったが、辺りを散策するにもこれといった物は無く、雨も降っていたの
 で電車の中でビールを飲んでいた。
 
 こうして、隣の“為栗駅”へたどり着いたので下車する。駅の裏には人家が2軒あり、線路を挟んで川との間に狭い畑があるだけだ。事前に得た情報によると、為栗の
 集落はダムの治水工事の影響によって大半が水没してしまい、駅裏の2軒は生き残りだそうだ。やがて雨が強くなり、つり橋を渡って出歩くこともままならなくなった。
 おまけに川の中では砂の浚渫(しゅんせつ)採取をしていた。対岸には処理プラントが作られ、ダンプも時折やってきて轟音を立てるので、せっかくの雰囲気が阻害さ
 れているのが残念だった。寒風が容赦なく吹き込んで来る待合所で寒さに堪えていると、心待ちの電車がやってきて乗車した。何年か後、工事が止んだ時にはきっと
 元の静かな風情を見せてくれるであろう。その時に改めて再訪したいものである。