2012/07/21 作成

峠駅



スノーシェルターに覆われたホームは独特の雰囲気

    

スイッチバックの遺構に旧線のホームを発見       まさしく“峠”という代名詞のような駅である       駅の入り口には簡単な案内板があった


    訪問日記  2004年7月某日 訪問

 
 ここは奥羽本線の“峠”という名の駅だ。いったい何という峠なのか、一抹の疑問を抱くかも知れないが、急勾配と豪雪による難所として知られる“板谷峠”のことを指している。
 さらに標高が626mで、奥羽本線で最も高く、文字通り“峠”に位置する駅である。1990(平成2)年9月1日の山形新幹線の開業まで、機関車牽引の普通列車は、スイッチバックで
 登っていた。しかも、“赤岩”、“板谷”、“峠”、“大沢”の4駅が連続してスイッチバックという凄まじさであった。駅の開業は1899年(明治32)年5月15日で非常に古く、当初は“峠信
 号所”として設置されたが、同年8月1日には早くも駅として開業。昭和24年には直流1500Vの電化区間となり、通過線を設けることで優等列車はスイッチバックを通らずに通過出
 来るようになった。その後、交流20000V化などの変遷を経ていくが、最終的にスイッチバックが廃止されたのは、標準軌による山形新幹線の開業である。かつての施設は、雪から
 守るためスノーシェルターで覆われていたが、新線化によって本線上に造られたホームの覆屋としても流用され、上下線も含めて大きく覆った構造から独特の雰囲気となっている。

 駅の周囲は人家が2軒ほど見えるだけで、まったくの山の中。外界からのアクセスも急勾配の屈曲した山道しか通じておらず、鉄道以外のアクセスさえも困難な部類に属する。
 さらに秘湯マニアに知られる“姥湯温泉”や“滑川温泉”の玄関口にも近いが、数キロ以上も離れるため、鉄道を利用しての湯治客は皆無に等しい。それでも鉄道の一大難所と
 しての歴史は100年を越え、駅前の“峠の茶屋 力餅”が製造する“峠の力餅”は、当駅の名物として有名である。今でも普通列車の停車時に、立ち売りの販売員が回ってくるが、
 わずか30秒ほどの停車時間に売りさばくことには限界がある。スイッチバックの時代には列車の進行方向が変わるために余裕もあったが、時代の流れの冷淡な一面を垣間見
 る思いだ。購入にはお釣りの無いよう、あらかじめ1000円札を用意し、停車寸前に販売員の位置を確認しながら移動しよう。 ※山形新幹線「つばさ」に車内販売あり

 私はここへクルマで訪れたことを最初に申し上げておこう。広島の自宅から深夜の高速道路(山陽、名神、北陸、磐越)を延々と運転し、猪苗代湖畔に降り立った。桧原湖沿い
 に白布峠を越え、米沢市から国道13号へ合流。栗子峠から板谷へ入った。そこからの道路は狭く屈曲した山道で、県道232号の途中から分岐する道は道路の中央に大きな穴が
 開いている箇所がいくつかあって気が抜けない。車体を枝葉に擦られながらようやくたどり着いた。こんな山の中にぽかーんと広がった平地に驚く。まるで神様がスイッチバック
 を造らせるために創造した空間に思えてならなかった。誰もやってこないせいか、かつての鉄道遺構も残され、探索する時間が足りないほど。こうして小一時間が過ぎてしまい、
 慌てて隣の大沢駅へ向かって行くのであった。