2000/3/25 作成

内名駅

芸備線 “内名駅” 川向こうの集落から遠く離れたこの駅は、林の中に隠れるように潜んでいた。

         

ホームは以外に長いが停車する列車はキハ120の単行だけ    川を挟み、集落側から内名駅の方を望む   手前の建物は自転車置き場


          

駅前には1軒だけ人家が存在する    列車は滅多に通らないので、閑静そのもの    そして、屋根が異様にデカイ不気味なトイレ

   訪問日記   2000年3月17日 訪問

  この駅へやって来る列車一日3往復だけ。中国山地の山奥にあるため車道は狭く、鉄道以外の交通手段でも到達は困難だ。開業は1955(昭和30)年7月20日。
 不便な地域の交通手段として、請願によって造られた。駅前には農家が1軒だけあるが、10軒ほどの小さな集落は川を挟んだ対岸。ホームの背後は竹林が視界
 を遮り、いっそう孤立感を漂よわせている。そんな寂しい場所だが、聞こえてくるのは自然の音だけ。川のせせらぎ、小鳥の鳴き声、風に揺れる木々のざわめき。
 大都会の喧騒とは無縁の世界があった。そんな長閑な昼下がり、森林鉄道と見まちがうほどの峡谷を抜け、たった一両の列車がやって来た。誰も降りず、誰も乗
 らない。すぐにドアは閉まり、エンジンを高鳴らせ去って行く。これが内名駅を含む秘境駅の日常風景である。

  今回、中国・四国秘境駅訪問旅として、18きっぷを使いながら遥々やって来た。この駅は、長大なローカル線である芸備線でも最も閑散な区間にある。駅へ向か
 うため“備後落合”から乗車した最終列車の乗客は、おばさんと私の二人だけであった。おばさんも隣の小奴可で降りてしまい、私一人だけになってしまう。駅へ
 着くと回送列車のような状態で、東城へ向けて静かに発車して行った。ホームの眼前に1軒の人家が有り、こちらを見て怪しんでいるのでは?と、少し心配したが、
 次の日の列車を待っている乗客でもあるし、躊躇しながらも“駅寝”を敢行することにした。以後、列車は明日まで来ないので、諦めの境地に達したというのが正し
 いところである。
 
 一夜の宿となったここは、待合室の入り口に扉が無く締め切りが出来なかった。進入してくる寒風を少しでも防ごうと、ナイロンシートで仕切りを作るが、隙間が大き
 く効果は無かった。造り付けの長椅子が唯一の救いで、エアマットを敷けば寝心地に影響は無く、翌朝までゆっくりと寝ることが出来た。夕食は列車の中で早々と
 弁当を食べてしまったので、寝る前にビールを飲みながら、つまみを食べていたが、得もいわれぬ疲れが押し寄せて来て、いつのまにか眠ってしまった。ところが、
 夜中に突然けたたましいエンジン音が響いて来たので、“一体何事か!” と飛び起きたが、どうやら線路点検の保線作業車のようであった。作業員たちの声がし
 たが、そのまま寝入っていることにしていると、暫くして行ってしまった。

 こうして再び寝に入り、アラームをセットした午前5時に起き出す。標高もそこそこある山間部のため、かなり冷え込みが厳しい。コーヒを沸かし、カロリーメイトを頬
 張りながら簡単な朝食を取る。やがて周囲も明るくなったので周囲を探索することにした。駅から急な歩道を下ると川を跨ぐ橋があり、民家はその附近に10軒ほど
 が点在していた。他に何もすることも無いので、ホームの待合室に戻り今日のプランを確認していると、備後落合へ向かう列車がやって来た。2つ先の“道後山駅”
 を訪問するため乗車し、一晩お世話になった山間の駅を後にした。