2001/10/9 作成
赤井川駅
函館本線 “赤井川駅” 待避線を含んだ駅構内は結構広いが、ここを訪れる人はほとんど居ない。
待合室はこじんまりとしたもの 小鳥のさえずりが響く静かな朝は、清々しい雰囲気に溢れている
駅前の風景はこんな感じで何も無く、未舗装路の先に人家がちらほらと 乗ってきた列車は、私一人を置いて去って行く
訪問日記 2001年8月13日 訪問
この赤井川駅は北海道の大動脈、函館本線の根元に位置しており、周囲には風光明媚な大沼公園、雄峰・駒ケ岳を望む自然豊かな場所にある。けれども、これだけ豊かな
観光資源に恵まれながらも、駅には人気が無い。人家も7〜8軒軒が遠くに見えるに過ぎず、比較的交通量の多い国道5号線からも700m以上も離れているため、車の音も聞こ
えてこない。そんな場所ゆえ、小鳥のさえずり一つとっても余計な雑音が入らずクリアに聞こえてくる。駅の利用者は少なく、主に上下列車との交換の他、特急列車などの待避
で使われることが多い。いわゆる信号場としての役割に過ぎないが、同路線に多くある信号場から格上げされたものではなく、明治37年10月15日の当初から正式な“駅”として
開設されたものである。
今回、日本一周秘境駅訪問旅という行程のなかで、ここが北海道で最後の訪問駅となった。釧網本線の秘境駅訪問を終えた私は、釧路で根室本線の普通列車に乗り換えて
ノンビリとした旅を楽しんでいた。途中、古瀬駅は時間がなく諦めたてしまったが、代わりに上厚内〜浦幌間にある、謎の信号場といえる“常豊信号場”で、列車交換のために
停車するという経験が出来た。そこはただの信号場ではなく、なんと上下線にそれぞれ短いながらもホームがあり、駅名標も立っている。数分の停車時間であったが、血眼に
なって撮影を続ける私は、周囲の空気から完全に浮いた存在となっていた。停車中、運転士氏にこの信号場には何故ホームがあるのか?という、素朴な疑問を投げてみたが、
彼も首を傾げて「何んででしょうかね〜?」と逆に聞かれてしまう始末。何に使いたかったのか不明だが、恐らくこの人家の全く無い山林と原野にあって、JR化となって同種の
多くが“駅”として昇格された訳だが、そこは利用者が見込めず、信号場のまま取り残されたと推測される。もしも国鉄時代にに仮乗降場として認知され、時刻表にも載っていた
ならば、間違いなく一流の秘境駅になったであろう。
こうして帯広まで進んだ私は、夕飯に豚丼の駅弁を購入し、快速「狩勝」の車内で食べる。この弁当は紐を引っ張ると容器が熱くなる加熱剤の入ったタイプである。確かにアツ
アツな弁当を食べられて幸せなのだが、大柄の容器は底上げ著しく、中身はとても少ない。しかし、かなり美味い部類の駅弁で、こんがりと焼きあがったジューシーな豚肉だけ
でなく、絶妙なタレが染みたご飯は感動するほど美味かった。そんなこんなで辺りはすっかりと暗くなってから新得駅へと到着。降り立った駅は何だか賑やかだ。そう、あの長
万部でも体験したが、同じように駅前広場で夏祭りの真っ最中であった。出店も多く、思わず「たこ焼き」なんか買ってしまい、待合室でビールの友としてつつく。すっかりお腹も
良くなり、特急「スーパーとかち10号」で隣のトマム駅まで進む。この誰も居ない駅の近くには、バブル時代の申し子といえる「アルファリゾートトマム」が、深い山林のなかに、
摩天楼のようにそびえている。明らかに場違いともいえる姿は、なんとも無気味な様相を呈していた。
トマム駅を出発し、深夜の楓駅を過ぎ去りながら南千歳へ到着。ここからは快速「エアポート」で札幌へ進み、食料調達も無事に果たすことができた。こうして今夜の宿となった
18きっぷ族ご用達の夜行快速「ミッドナイト」に乗車。今期から車両が変わり、特急型のキハ183系が使われていた。以前使われていたキハ27系のカーペットカーやドリームカ
ーは車齢が高く廃車されてしまったのは残念である。まあ、この車両も古いとはいえ、まがりなりにも特急型車両だ。横になることは出来ないが、こうして快適な一夜が過ぎて
いった。
「ミッドナイト」を早朝の森駅で降り、普通列車へと乗り換えた。この列車は途中、姫川駅で列車交換のため数分間の停車をしながら、赤井川駅へと到着。早朝の空気は清々し
く、静かな環境が荒んだ人の心さえもを癒してくれそうだ。子供の頃に戻ったような感覚で駅周囲の探索を行い、満員だった昨夜の夜行列車で吸ってきたその悪い空気を、思い
っきり深呼吸して入れ替えた。しばらく待合室で休んだ後、隣の大沼公園駅へと歩いていくことにしよう。心なしかザックを背負う体に力がみなぎって来た。