2000/8/30 作成
餘部駅
山陰本線 “餘部駅” 駅の先には有名な餘部鉄橋が控えていて、利用する者は鉄ばかり
駅は1面1線の棒駅で、締め切り可の小さな待合室がある。 この餘部鉄橋は、明治45年に開通した高さ41Mのトレッスル橋で有名な撮影ポイントでもある
訪問日記 2000年8月12日 訪問
ここは、山陰本線の名所として知られている「餘部鉄橋」の直ぐ脇にある。この鉄橋は明治45年に完成したという古いトレッスル橋で、高さはなんと41Mにも及ぶ。京都方から
やって来る列車は鎧駅側のトンネルを抜けると直ぐに鉄橋が始まり、“ゴーゴー”と轟音を立てながら渡り、この餘部駅のホームへと滑り込む。橋の真下には人家もあってとても
恐ろしい所に建設されていると感じた。そんな摩天楼級の高さを誇る鉄橋からもしも列車が落ちたら?… との心配は誰しもが思うことであるが、このような危機意識的な考え
方は、永らく鉄道の安全神話と共にタブーとされ封印されてきた。しかし、永年の走行経験からは考えられないような最悪の事故が終に起きてしまったのだ。時は昭和61年(19
86年)12月28日、回送中の「お座敷客車みやび」が、折からの突風で餘部橋梁から転落し、客車7両が鉄橋下のカニ加工場を直撃した。この事故で従業員の主婦5名と列車車
掌1人の尊い命が奪われた。こうして痛ましい事故の慰霊碑が鉄橋下に建っており、今でも訪れる人は絶えることはない。この事故を教訓に、荒天や強風時には橋に設置され
た風速計の基準値を超えると自動的に信号が赤になり、列車は運行できなくなった。さらに、転落防止のつい立も設置され、撮影上邪魔に思えても致し方無いものであろう。
駅周囲に人家は見えないが、まとまった集落が鉄橋下に広がっている。かような場所にあるため、集落からの車道は無く、狭い急坂の歩道をおよそ5分を掛けて登ってくる必要
がある。非常に不便な場所にあるので、今日のようなモータリゼーションの普及により、地元の方からは見放されている感も否めない。それでも鉄道ファンの間では有名撮影地
として知られており、夏休みシーズンともあいまって沢山の“撮り鉄”の方が下車し賑わっていた。私は、彼らが駅から山側へ少し登って行った撮影ポイントへと移動した後、人
が完全に居なくなったところで駅周辺の撮影を行った。ようやく撮影を終えて、彼らの居る場所へ行って見て驚いた。この狭い場所に20人が肩を寄せ合い集結していたのだ!
残念ながらベストな位置は望めなかったので、右側の写真にある通り、青々とした日本海を入れることが出来なかった。
そんなことも有って、列車が通過したところで駅の待合室へと引き上げる。中には地元の方のお手製座布団と駅ノートがあり、大切にされていると感じて嬉しくなった。やがて、
乗車する浜坂行き普通列車がやってきて後にした。