2009/08/06 作成
安比高原駅
高原にある小さな駅に、さわやかな風が吹き抜けていく。
交換設備のない一面一線のホーム。 SLの三重連を撮りに集結した鉄道ファン、巨大なスキーリゾートに群がったバブル世代、この駅には幾多の思い出が詰まっている。
訪問日記 2009年7月28日 訪問
この駅は高原リゾート地の玄関口にある。その名は“安比”よりも、“APPI”という派手なロゴでバブル期に開発された大規模なスキー場として知られる。
そんなリゾート施設を中心に、大そうな賑わいを見せる一大観光地と思いきや、駅の周囲には人家がまったく見当たらない。遠くに見えるホテルやペンション
へも歩いて行くには遠く、この駅を利用する観光客はどれほど居るのだろうか。そんな旅人の心配をよそに、白樺の林を背景にして、牧場に似た瀟洒な駅舎
が建っていた。駅の歴史は、大正15年11月10日、“龍ヶ森信号場”として開業。その後、仮乗降場と信号場の立場を繰り返すという数奇な運命を経て、
昭和36年12月28日、正式な“龍ヶ森駅”へと昇格。さらに昭和63年3月13日の国鉄分割民営化の翌年、バブル期に
開発されたリゾート施設に由来する駅名として、現在の“安比高原駅”に改称された。
今回、私は東京に所要があり、自宅のある広島県から出発することになった。なぜ岩手県を旅しているのか?それは限りある休みを最大限に利用しての
秘境駅訪問を行うためだ。旅の始まりは、新幹線の東広島駅を会社の夜勤明けに「こだま738号」へ乗車した。岡山で乗り継いだ「のぞみ124号」を早々と
姫路で降りる。ここまでは普通の行程であろう。しかし、その先のルートは、播但、山陰、舞鶴、小浜、北陸、信越、羽越、奥羽で青森駅を周って、東北
(新幹線)、東海道・山陽(新幹線)を経由して行くものだ。こうして全行程2925.5kmに及ぶ常軌を逸した旅であった。
使用した乗車券は、東広島〜福崎(3,890円)と福崎〜東広島(24,680円)の2枚となる連続乗車券。要するに“ラケットループ型”の片道きっぷで、有効期間は
延べ18日間に及ぶ。実は、東広島〜東京間の単純往復では21,540円だから、その差は何と7,030円しか違わない。もちろん新幹線をはじめとする特急や
寝台等の料金は別途になるが、それでも2万円ほどの加算で済んだ。こうして寝台特急「日本海」に乗車翌朝には青森駅に立つことができた。その後、東北
本線の“千曳”、大湊線の“金谷沢”といった秘境駅を訪問し、この“安比高原”も翌日の夕刻に訪れた。狂気の沙汰と思えるかも知れないが、我ながら非常に
完成度の高いプランであると、ささやかながら悦に入っている。
行程の詳細については省略させて頂くが、盛岡で途中下車することで今回の訪問を行うことにした。盛岡駅は本当に久しぶりだ。以前は東北本線が青森まで
全通していたので、素直に花輪線のホームへ回ることが出来た。しかし、現在ではだいぶ様子が異なる。それは盛岡〜目時間が“IGRいわて銀河鉄道”、
目時〜八戸間が“青い森鉄道”として、それぞれ第3セクター化されたことに起因する。そのため、盛岡〜好摩間を直通する花輪線の乗車口には延々と歩か
なければならない。これから乗車する快速「八幡平」という名称を持った列車も以前のキハ52系では無く、新鋭キハ110系へと変っていた。その性能は33‰
(パーミル)もの急勾配をいとも簡単に登り詰め、峠のサミットにあるこの駅へ呆気なく滑り込ませた。ドアが開くと、麓より気温が低いのを感じた。さすがに
504mの標高を登って来ただけある。高原のそよ風を頬に感じながら、いつものように楽しい秘境駅調査を始めたのであった。