2001/05/13 作成
福島高松駅
南国ムード溢れるこの駅に、午後の日差しが照りつける
ホームは一面のみで、正面には田園風景が広がる 晴れた午後、ホームと反対側の駅名標を撮って見た
待合室には扉が無い吹きさらしだが、南国情緒あふれるもの 待合室内部には汚れた長椅子が2脚と駅ノートがある
訪問日記 2001年5月8日 訪問
ここは“福島高松”という、一風変わった名前の駅である。その名が示す、“福島県”と香川県の県庁所在地の“高松”は全く関係が無い。その由来は駅のある串間市が
以前は福島町で、集落名が“高松”であることから、お互いの名を合わせた結果、かようにややこしい駅名となった。駅前には酪農を営む農家のほかに人家が十数軒ほど
あり、秘境といった風情には乏しい。ホーム側は田園地帯が広がり、それでも日南線の駅では一番人口密度が低いと思われる。この古びた待合室は下部が水色に塗ら
れ、南国情緒豊かなもの。扉はなく、激しい風雨が容赦なく入るためか、内部はかなり荒れている。それでも南国情緒あるれる開放的な駅舎は、のどかな風景のなかに、
実によく溶け込んでいた。
今回3回目となった九州秘境駅訪問旅は、東京駅を22:00に発車する“サンライズ瀬戸・出雲号”のノビノビ座席を使って岡山まで乗車。さらに福山まで山陽新幹線の“ひ
かりレールスター”に乗車した。これは、岡山から新幹線に乗り継ぐために“乗り継ぎ割り引き”が適用され、“サンライズ”の特急券が半額の1830円になるからだ。そのま
ま山陽本線の普通電車で行くより、先の福山まで30分ほど先行出来るため、時間的なメリットも大きい。しかしながら、素直に新幹線で九州へ入りすれば煩わしくないが、
こうのようなマニアックな手段を取るのは、他ならず金銭的な理由であり、宿泊費の節約という大きな目的もある。旅の頻度が多い私にとっては、ある意味、生活の一部で
あり、“贅沢は敵”なのである。
さらに、今回の旅はもう一つ目的があった。今まで未乗だった“呉線”と“岩徳線”に乗車したため、時間こそ掛ったが、“JR全線完乗”という目的を達成するためには止む
を得ない。こうして右往左往しながら九州に入るが、乗っけからJR九州完乗プランが炸裂して行く。まず、筑豊本線を乗りつぶすため、折尾から若松へ向かい、また逆に
戻る。しかも、2001年5月現在において全国唯一になった、“普通列車の客車”で乗り潰して行く。その先も篠栗線で長者原まで進み、香椎線に乗り換えて終点の宇美、
降り返して起点の西戸崎ともう完全にヤケクソ状態。ここまで来ると執念である。博多へ出て、ほっとするのも束の間、今度は新幹線の博多南線で博多南まで往復して
来るという始末で、あまりに連続で乗り通したためフラフラになっていた。それでも疲労は体だけで、目的に向けて順調な滑り出しを確信しつつ、自己満足の世界に浸っ
ている自分がいる。これが鉄道マニアとして純粋な性質なのであろう。
博多南駅では駅前のスーパーへ閉店間際に立ち寄り、ほとんどの食料を半額で調達する。旅先といえども生活が掛っているから必死なのだ。こうして博多から今夜の宿
となる夜行特急「ドリームにちりん」に乗車して一夜を明かすことにした。乗車と共に深い眠りに落ちてしまい、翌朝下車する南延岡までほとんど記憶が無かった。こうして
南延岡から始発の普通列車に乗車し、“宗太郎駅”へ降りる。山間の静かな佇まいを思い切り満喫。再び延岡へ戻り、485系を使った“さわやかライナー3号”で南宮崎へ
進み、日南線へと乗り込んだ。こうして長い道のりを経て到着したこの“福島高松駅”。駅の周囲は人家がそこそこあるため残念であったが、時折辺りに響き渡る“牛の鳴
き声”にのどかなひと時を過ごせた。軽く昼食を摂った後、周囲の散策をしてみた。国道まで200mほど進むとバス停を発見したが、2本/1日という頻度では、利用者は多
いとは思えない。これ以上進んでも埒が明かないため、駅へ戻ってベンチに座って駅ノートへ旅の模様を書き込んでいた。このノートはしっかり管理され、置き捨て状態の
ものとは異なる。管理人も定期的に訪れ、過去に書き込まれたものを製本化して置くという気合の入れ様だ。私と同じく駅を愛する者にとって嬉しいばかりか、苦労をいと
わない奉仕活動には尊敬の念を抱くばかりである。こうして南国の静かな昼下がりは、空に浮かんだ白い雲と、ゆったりとした時間だけが流れて行くのであった。