「秘境駅の観光化」
最近、秘境駅のあり方について様々なことを考えた。本当に今のままで良いのか?
私は秘境駅に1999年から訪問をはじめ、2013年の今日までに足掛け14年に渡り携わって来た。転機は
2001年3月の小学館文庫から発刊させて頂いた「秘境駅へ行こう!」に他ならない。その後、TVへの出演、
DVDや写真集の制作、単行本の執筆など鉄道趣味界へ新たなジャンルを確立させるまでに至った。個人
的な趣味がここまで広がるとは思わなかった。
いままで学業的にも社会的にも成功体験がなく、全くうだつの上がらなかった人生。人に追い越され、追
いかけても置いていかれる存在。万年ヒラの下っ端。まさにコンプレックスによる現実逃避で生まれたのが
林道ツーリングであり、しいては“秘境駅訪問”であった。これらが認められたのは、世の多くの人々が一
方的に押し付けられた成果主義に疲弊したこと。追いつめられた閉塞感ゆえ、心情的に共感を得られた
ことではないかと思う。
しかし、私のなかで少しづつ歯車が狂って来た。冒頭に挙げた疑念のきっかけは、大手鉄道会社が主催
する臨時列車の運行である。もちろん私も企画段階からパンフレットの制作などで協力してきたし、鉄道と
駅を応援するために力添え出来たことは光栄に思っている。いちど件の列車にも同乗したこともあるが、
満員御礼の大盛況だった。ふだん誰もいない駅のホームが、多くの人々であふれ返った光景は、駅が開
設されて以来、一度も無かったことであろう。まさに秘境駅が秘境でなくなった瞬間という、大いに矛盾し
た状況が展開された。
その観光列車のチケットはなかなか取れないとも伝わって来る。列車の終着駅には出店が繰り出し、地域
の観光協会が企画したと思われる様々なコピー商品も大いに売れている。これを嬉しいという以外に何と
表現したら良いのか?ここまで書いて如何に私が天の邪鬼であることを自ら証明しているようで、それは
それで心苦しいが…
観光客が大挙して詰めかける→地域にお金が落ちる→雇用が生まれる→自治体の税収が増える→寂
れていた街が活性化される→みんな幸せ きっとこのようなハッピーサイクルを想像していることだろう。
事実、そうなりつつあるかも知れない。“町おこし”、“地域活性化”という耳障りの良い一声に推され、大
挙して訪れる観光客のため、休日を返上してまで労力を提供する。全ては愛する故郷のために頑張る。
人として美しい。
だが、せっかくの流れに水を差すようで悪いが、秘境駅と称して地域活性化を図ったとしても、あくまで
ブームに頼った一時的なものだ。確かに人気が高まることで赤字路線の廃止を抑制させる期待もあった。
けれども、遅かれ早かれの問題で、根本的な解決に至ることはない。人々が去るには、去るに相応しい
理由が別にあり、本質的に地域活性化などで人口流出(過疎化)を食い止められるものではない。一時
のブームに希望を見出し、地元で一生できる仕事と勘違いしてしまった結果、何かが狂い、あっさりと終
わってしまわないか?
冷静に考えると、地域の産業が廃れ、人々が去ってしまったことで生まれた形態のひとつが「秘境駅」だ。
それを“町おこし”と称して、商業的に観光化することが本当に良いことなのか?そもそも住民の少ない特
定地域へ、多勢の観光客が大挙して詰めかけることは、“環境破壊”に他ならない。騒音しかり、ゴミ問題
しかり、器物破損しかり、そして治安しかり… いわゆる地域の人の平穏な生活を脅かされるということだ。
もうひとつ苦言を申せば、右上がりの世代で現役時代に成功を収め、退職後の物見遊山で訪れる人々
は、そんなことなど微塵も考えたことは無かろう。だからこそ、秘境駅に訪れるのは、ひとりもしくは少人数
で。他所の人だからこそ謙虚に。これが旅人の基本姿勢だと思うのである。
私が出した結論は、秘境駅の観光化は、地元の“皆んな”が“本当に望んでいる”ならいざ知
れず、決して部外者が手を加えるべきでないということだ。その結果がどうなろうと。
2013年11月29日 秘境駅訪問家 牛山隆信