2001/12/17 作成

辛皮駅

北近畿タンゴ鉄道“辛皮駅” 人家も稀な山間にある駅に、爽やかな朝が訪れようとしている

            

ホームには小さいながらも密閉性の高い待合室が備わっており、中々の居心地   駅前には広い駐車場もあるが、ここを通る車はほとんど見当たらない

            

周囲は真っ暗。 駅だけに薄っすらと明かりが灯る    特筆すべきことに、この駅には水道が生きている 

   訪問日記  2001年11月16〜17日 駅寝訪問  後年、再訪実績あり

 
 ここは、北近畿タンゴ鉄道という第三セクターの鉄道で、宮津線(西舞鶴〜豊岡)と宮福線(福知山〜宮津)の2つの路線が営業している。宮津線は旧国鉄から
 JR西日本へと経営母体が代わったが、第3次特定地方交通線の烙印を押されて廃止対象になりかけたものを引き継いでいる。一方、宮福線は計画線だったが、
 旧国鉄の財政悪化で工事が凍結されていたものを引き継ぎ、昭和63年7月16日に開業した。さらに平成8年3月に電化開業され、現在では京都・新大阪から天橋立
 へJRの直通特急が数多く運行されている。この辛皮駅は後者の宮福線に属するが、新設路線のためトンネルが多く、深い山の中にポツンと残されたような存在で
 ある。周囲には人家が7〜8軒が散在するだけで、外界から通じる狭く屈曲した道路もほとんど車が通らず、およそ人気の無いような場所にある。ホームは一面一線
 の単純なものだが、狭いながらもぴったりと締め切りができる待合室があり、なかなか居心地が良い。 
 
 さて、私は今回この北近畿地方の秘境駅訪問旅として、武田尾、保津峡、南今庄と続けていた。敦賀から小浜線で東舞鶴、舞鶴線で西舞鶴へ進む。宮津線の乗り
 換え時間に某牛丼チェーン店でお腹を満たし、宮津から宮福線へと乗り換え、すっかり暗くなったこの駅へ到着した。誰も居ない夜のホームに降り立った私を、車掌
 はきっと不審人物と思ったであろうか。次の列車までの約1時間を使って辺りを徘徊。だが、辺りは真っ暗で一向に様子が判らない。駅寝の設備は大丈夫そうなのを
 確認しつつ、結局やって来た福知山行きの列車に乗り込んで後にしてしまった。これで終わりにしてしまっていいのか? いいや、気が変わった。福知山駅に着いた
 私は、缶コーヒーを片手に折り返していく列車へと乗車した。フリー切符の功罪か、気分の移り変わりに無理やり対応させるという、誠に我儘な利用方法である。

 またもこの辛皮駅へ舞い戻って来た。乗ってきた列車が行ってしまい、一人ポツンと深い山の中の駅に取り残された。久々に感じる新鮮な孤独感。勿論、携帯電話
 も圏外である。騒がしい日常からは想像出来ないほどの安堵感にも似た気持ちが入り混じる。周囲の探検は明朝に期待し、就寝の準備を始めた。一人寝れば一杯
 の狭い待合室は、自身が発する熱気の損失を最小限に抑えられなかなか快適。今日一日の疲れで、ウトウトと寝ていたら、23:30頃に本当の最終列車が停車し、
 何やら車掌がこっちへ向かって降りて来るのが判った。不味い!運転士と何か話している。「宿も無いのかぁ かわいそうにぃ〜 まあ、行こうっ」って感じで半ば
 同情にもなっていない言葉を残し、列車は去って行った(ふぅ〜)。かなり不味い状況であった。もしかしたら警察にでも通報されるのかと内心ビクビクしたいたが、
 「まあ、何とでもなれ」という図太い神経が、私の中で確実に育っているようでもあった(今後が心配…)。

 そして何事も無く、平和な朝はやって来た。さらにこには生きた水道があった。顔を洗ってから周囲を散歩してみた。期待通りの雰囲気に一人悦に入りながら写真を
 撮っていく。そして、7:25の列車でこの山間にある駅を立ち去った。また何年かしたら覗いてみようか?そんな気持ちにさせる駅だった。