1999/10/16  作成

金野駅



山間のひっそりとした場所に金野駅はある  米川と天竜川が合流する地点に近い

    

駅はS字カーブに沿って作られている      駅前広場は誰も利用しない自転車置き場有り     119系の普通電車がやって来たがあっさり通過した

  訪問日記  1999年10月6日 訪問

  この駅は1932(昭和7)10月30日、三信鉄道の停留場として開業した。その後、三信鉄道は国鉄に買収され、昭和18年に晴れて駅へ昇格。こうした流れで駅と共に周囲も
 発展して来たと思いきや、実情は違った。ここは周囲に人家が全くない深い山間。最も近い集落は、2km近く離れた泰阜村金野地区である。それでも当時は大そうな賑わい
 を見せ、駅までの小道は“銀座通り”と呼ばれていたそうだ。しかし現在は、錆ついた自転車置き場に数台の屍が放置されているだけ。人通りを失った寂しさは、じっと見るに
 堪えない。線路の向かいは急峻な岩場で落石防護壁に厳重な囲われていた。線路も眼下に見る複雑な渓谷の流れに沿って、クネクネと曲げられている。本来であれば集落
 の多い地域へ線路を通したかったが、天竜川によって作られた複雑な地形に阻まれ、かように辺鄙な地へ駅が出来てしまった。秘境駅が出来上がる過程には様々な事情が
 隠されている。

 
北陸乗り潰し旅行の帰り道に飯田線を利用していた私だが、前夜は深山幽谷にあるトップクラスの秘境駅と判断した“小和田駅”で駅寝を敢行してしまい、後に現れる駅は
 大した事はないだろうと思い込んでいた。ところが、“秘境駅銀座”の飯田線のこと。結果は見る駅、降りる駅の多くが人家の少ない険しい地形にあり、期待を裏切ることは無
 かった。小和田を出た電車は、中井侍や為栗といった強烈な秘境駅へ停車し、峡谷をトンネルと鉄橋を連続させながらゆっくりと進む。こうして、当初から計画していた金野駅
 で下車した。まず駅前に立って周囲を見回しても何も無い。もちろん人家も一切無い。駅のホーム以外、唯一の建造物といえば、朽ち果てそうな自転車置き場があるだけだ。
 ここも類に漏れず、駅ノートが設置されていたので書きこんでんでみる。読んで行くと80歳を越えたお爺さんの書き込みを見つけた。何やら駅から延びる林道らしき道を3Km
 ほど登り詰めると、同名の集落があるそうだ。利用者の大半は集落の人であり、そのなかでもごく僅かしかいないことが判った。小一時間程の時間があったが集落を訪れる
 には時間が足りない。それでも駅ノートを読みながら、のんびりとした時間を過ごせただけで充分満足した。

 やがて、豊橋方面への列車がやって来たが、あっさりと通過して行く。ここは普通列車でも通過するものがある。暫くすると目的の下り飯田行きがやって来たので乗車した。
 次の“千代駅”に停車して車外を眺めるとなかなか良い駅に見えた。次は何処で降りようか? 飯田以北では2駅程降りるチャンスが計画の中から弾き出してある。一つは“
 田切駅”そして、“高遠原駅”へ行こうと思案しながら、時刻表をめくるのであった。