2001/01/24 作成
小幌駅
King of "Hikyou-Station"
し〜んと静まり返った小幌駅 ここには誰も寄せ付けない神秘な空間が広がっている
これはもう待合室というより掘っ立て小屋という感じ しかし、中には人が・・・ 釣り人が極稀に乗降するらしく、変なステッカーが貼ってある
駅は2面2線の短いホームがあるが、両側を長いトンネルに挟まれている 上のオレンジ色の光は国道だか、そこまで到達できる道はない
訪問日記 1999年12月12日訪問 以後、3回訪問実績あり
今回の北海道「秘境駅訪問旅」のメインとなったこの“小幌駅”をやっと訪問することが出来た。ここは、人家が一切皆無であり、車道はおろか歩道までも存在しな
いという究極の秘境駅である。道内でも屈指の幹線である室蘭本線にあって、非電化の複線に2面ある短いホームと少し離れた所にある鄙びた待合室、保線用の
機材保管庫などが存在する。唯一の道は海岸までの急斜面を降りて行く歩道のみで、訪問した時は深い雪で覆われ、まともに歩ける状態では無かった。ここは一
般的な利用者は無く、長いトンネルを点検・補修する保線要員が乗降するのが目的で、他はわずかに海岸で釣りを楽しむ客が利用するだけの極めて特殊な駅である。
ここも類にもれず普通列車の通過が多く、プランの組み立ての当初から悩ませたが、長万部駅からの最終列車で列車でやって来た。辺りは駅の電灯と遥か上方を
走る国道の外灯だけであり、雪がしんしんと降っていて寂しさが一層こみ上げてくる状況であった。三脚を担いで周囲をバルブ撮影するため、雪のなかを歩き回り、
いよいよ待合室へ入ろうと近づいたが、何やら様子がおかしい。辺りに焚き火のような焦げた匂いが立ち込め、煙突から煙が出ていた。人が居る? なぜ? 勇気を
振りしぼって、恐る恐る「すみません…」と声をかけると、中から ホームレスと思わしき人が出てきた。相当に汚い格好だが、人の良さそうな感じで、へしゃぐれた声を
出し「ハイ…」と答えた。私が何でここにいるのかと聞くと、彼は、「夏は海岸に降りてテントで暮らしているが、冬は寒いのでここに居る」と。さらに、「鉄道会社の人が
ここに居て良いといった」と弁解するように話した。
判っていて敢えて「仕事はしていないんですか?」との問いに、「前はしていたが、訳あって今は蓄えを少しづつ切り崩してここで生活している」と答え、カメラを持った
私を「ジャーナリストの方ですか?」と問うてきた。私は、そうではないが色々と調査していると言ったら、「名前や以前の住所は明かせない、この間も新聞社の人に
取材された」というので、私は新聞の者では無いし、個人の生活についてはまったく興味は無いの で一切聞かないと答えた。このような、列車以外にどこからもたど
り着くことのできない閉鎖空間で、何かあっても困ると判断したからだ。小屋の中は汚い生活物資で溢れ、何を食べているのかは不明だが、周囲に焼酎のビンが数
本ほど転がっていた。これ以上関わりを持っても良いことは無いと思い、別れを告げて立ち去った。
やがて狭いホーム上の気温は-11℃にもなり、しばし佇んでいると突然トンネルの奥から “ドンッ!”と鈍い音がして強風が吹いてきた。「列車が来ます、線路を渡ら
ないで下さい」と、自動放送のアナウンスが流れ、特急 「スーパー北斗」が雪煙を上げながら、すさまじい勢いで通過して行く。余りの恐怖にその場に立っていられな
い。車内の乗客と一瞬目が合ったが、彼は私をどう思っただろう?。やがて、本日最終の停車する列車がやってきて乗り込んだ。
そして、彼と再会した!
小幌駅の待合室内部はこんな感じ 幻の駅ノートが壁に掛かっていた! 例の彼は現在、この山腹に建てた小屋に住む
正面に「秘境」の小幌海岸を望む 深い雪を掻き分けて急峻な地形を降りて海岸に辿りついた 写真は海岸の左側と右側、そして駅方向を仰ぐ
再訪日記 2001年1月3日 再訪
約1年ぶりに降り立った。前回は夜間のため、周囲の状況が良く掴めなかったので、今回は明るい時間で再訪する計画を立てた。季節こそ真冬であったが、“彼”が
夏場に住んでいるという、海岸へ行ってみたくなった。訪問当日は絶好の晴天にも恵まれ、到達までに多少の苦労があったものの念願叶って、嬉しさもひとしおである。
今回の訪問に際し、前夜を隣の「礼文駅」で駅寝することになった。長万部行きの最終列車に最後の乗客となった私は、運転士一人を残して駅へ降り立った。駅舎は近年
になって建て替えられたのか、外壁も白くてとても洒落ている。一夜の宿となった待合室には、なんと豪華なソファーが有るではないか!私の身長(178cm)では、少々はみ
出してしまうが、夜行列車の座席や他の駅での固い長椅子が寝床が続いたこともあり、雲の上にでも居るような気分になった。
快適な一夜が明け、翌朝の一番列車に乗り込む。いよいよ全国の秘境駅でもフラッグシップ的存在の小幌駅へ向うのだ。やがて列車は人家の無い山岳地帯に入り、長い
トンネルを抜けて小さなホームに停車した。運転士も冬山登山風の格好をした私を見て、納得したような表情を浮かべると、丁重に北海道ゾーン券を確認した。私は軽く会
釈してホームに降り立った。例の待合室の中に住人の彼が居ると思いドアをノックした。返答がないので、ドアを開けて中に入ってみた。室内は相変わらず汚いまま。写真
を撮ろうかどうか迷ったが、この待合室は“公共のものである”ということを大義名分(都合の良い言い訳)として、“興味本位”という誘惑にあっさり負けて撮影してみた。
壁には煤にまみれて変色した3冊の駅ノートが掛かっていた。どうも昨年の夏に書きこみがあったようで、いくつかのバックナンバーを読んでいくうちに、“住人の彼”と思わ
れる、難読な漢字を多用した難しい表現の文章が読み取れた。この絶海の孤島のような地で、活字に飢えた生活を送っているのであろう。
このまま雑然とした小屋の中に居ても仕方がないので、あの秘境と名高い小幌海岸へ降りて行くことにした。雪でまったく道の判らない急斜面を、膝まで埋まる深雪を踏み
しめながら、自らの足跡で歩道を作って行く。十数分ほどで、ようやくゴロ石の海岸へ到達した。両側を断崖絶壁に囲まれ、外界へ海岸伝いに歩みを進めることは到底出来
そうにない。駅のホームの下に流れていた沢が、ここで太平洋に注いでいる。そんな大自然を目の当たりにして、しばし寒さを忘れて歩き回った。海岸を探索していて唯一の
人工物は、建物があったと見られるコンクリの基礎の跡だけであった。
帰りの列車がやって来る時間が近づいたので、駅へ向かう急坂を登る。自分の付けた足跡を頼りに、いい加減息が荒くなった頃に到着すると、そこには前回の訪問で会った
彼が雪掻きをしていた。以前ここへ訪れてお会いしたことを告げたが、残念ながら彼は覚えていないようであった。まあ、そんなことはどうでも良い。しばし彼と話をしているう
ちに、とても物腰の低い方と感じた。恐らくこの優しい人柄が仇となり、世の人達から踏みにじられて嫌気が差し、この誰も住むことの出来ない秘境の地に定住したのではな
いかと勝手に想像してしまった。「出身は?」と尋ねると、「本籍は横浜です…」とのこと。年齢的には40歳半ばと思われるが、厳しい大自然の中を生き抜いてきたせいか、
その姿は老境へ差し掛かっているように見えた。彼は現在、山の中腹に見られる上の小屋で暮らしているという。そちらにもストーブがあって火が付いたままということから
戻って行った。私は「今度また来ます!」と、お辞儀をして立ち去って行った。そのうち、ようやく乗車するべき列車がやって来て乗りこみ、このトンネルに挟まれた静かな空間
を後にした。
※その後、住人の彼は栄養失調に倒れ、釣り人に発見されヘリコプターで救出、病院へ搬送されました。そこで衰弱死した説(胃がん死亡説あり)と、一度退院して小幌に
舞い戻ってから亡くなったという説がありますが、真偽は不明です。秘境の住人のご冥福をお祈りします。
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