2015/11/29 作成
松草駅
山田線 松草駅 11月の初雪をかぶったホーム。寂しさもひとしおだ…
待合室は新しいものに建て替わった 細長い室内だが木目がむき出しで癒やされる すっかり暗くなったホームにぼんやり浮かび上がる駅名標
高台の駅へ上がる屋根付き階段 平衡感覚を失いそうになる独特な構造 寒風に吹かれながらホームを歩く 電柱にかかる古い駅名標を発見
訪問日記 2013年11月12日 訪問
北上山地を横断する山田線。路線の敷設にあたり、大正9年の帝国議会で、当時の原敬首相へ「総理はそんな山奥に鉄道を敷いて山猿でも乗せる気ですか?」 とで野党議員から揶揄さ
れたエピソードも頷ける。それも皮肉なことに、人家の少ないところに駅がある、“大志田駅”や“浅岸駅”などを生み出す源泉になった。そんな事で喜ぶのは秘境駅訪問者ぐらいかも知れな
いが、列車本数の少なくなったいま、この“松草”という可愛らしい名の小さな駅に停まる列車は1日あたり、下りが2本、上りは3本だけ。こんな本数では乗客の利便性を語る資格など無きに
等しい。
開業は1930(昭和5)年10月31日。当時は盛岡から延びて来た路線の終着駅だったが、翌年の同日、隣の平津戸駅まで延伸して途中駅になった。かつては相対式ホームの交換可能駅だっ
たが、国鉄末期に交換設備が撤去され無人化されている。だが、当時の痕跡は少なく、対面の離れた電柱にかかる縦型のホーロー駅名標に、わずかな名残をとどめる。
そして、奇妙な形の屋根付き階段を下りると小さな集落に出た。だが、そこは夜になっても人家の電灯はほとんど灯っていなかった。過疎化の波はこんな所にも及んでいる。住民がまったく
利用しなくなったら、真っ先に廃駅への道を歩むだろう。それ以前に路線の存亡さえも怪しく、ローカル線という言葉が死語になりそうな時代が、すぐそこまで来ている。11月の初雪をかぶっ
たホームに、凍えながら列車を待った思い出も、遠い夢物語にされては、あまりにも悲しい。