2012/7/20 作成
女鹿駅
羽越本線 “女鹿駅” 信号場からほとんど進化していない駅は、集落から離れてひっそりと佇んでいた。
古い木造モルタルの待合室。 室内にはストーブも備わっている。 鉄パイプで出来た簡素のホームはまるで仮設駅のような雰囲気。
訪問日記 2000年9月30日 訪問
ここは1962(昭和37)年10月30日に信号所として開設された。旅客駅として開業したのは、通例によりJR化後の1987(昭和62)年4月1日と、旅客駅としての歴史は浅い。
駅舎は信号場時代の詰め所を転用したもので、建物には“女鹿□□□”と書かれ、白く塗られた3文字の空白は、かつて“信号場”と表記されていた。現在でも信号場とし
ての役割がメインのため、長い編成の貨物列車でも交換出来るよう、2線を擁した広い構内になっている。しかし、肝心なホームは鉄パイプで組まれた仮設のホームで、上
下線にそれぞれ3両ほど停まれる短いものが、互いに向かい合っているに過ぎない。さらに周囲は鉄道林によって遮られいるため人家は見えず、数十メートル先の国道を
跨いだところに数軒が見られる程度に留まる。さらに地理的にも山形・秋田県境の山形県最北の駅となるため、人口流動は極めて限定的と思われる。事実、ここに停車する
列車は一日あたり5本しかなく、内訳は下りが昼と夕方の合せて3本、上りは朝2本となっており、ほとんど酒田方面への通学に特化している状態である。
私がここに訪れたのは、記載する12年前に遡ることを最初にお断りしておく。生来の不精癖から永い間HPの更新を怠ってしまったが、旅の記録用として古い写真と、使用済
みの切符から記憶をサルベージする思いに至った。今までのお詫びを兼ね、しばしお付き合い願いたい。
さて、当時の私は東京都の八王子市に住んでいたため、東京と庄内地方を往復するフリーきっぷを使い、上野駅から寝台特急「あけぼの」で旅立った。早朝の象潟駅で当日
限り有効の「あきた小さな旅フリーきっぷ」を2040円で求め、羽越本線を更に北上。同線の“桂根駅”を訪問した後、午後になってからここに訪れた。しかし訪問には前途のよ
うに大きなハードルが待ち受けていた。何しろ停車する列車が少な過ぎる。ここを通過する2両編成の701系の普通電車に乗ったが、偶然にも対向列車の交換ため3分ほど
運転停車した。すかさず車掌へ、ダメ元でここで降ろして欲しい旨を伝えたが、やはり「ドア扱いは出来ない」とのつたない返事。悲しいけど、天下の時刻表の“レ”マークを“
曲げる行為”は許されないよなぁ・・・。そんな常識を抱きつつも、女鹿駅への思いは募るばかり。男鹿線の男鹿駅との関係はあるのか?とか、イマジネーションがどんどん膨ら
む一方だった。
気が付くと隣の吹浦駅で下車し、女鹿までの3.6km(実際は道路でさらに迂回)を歩き出した。海岸線に沿いつつも、道なりに高台へ進んで行くと、林の中に消えていく小道に
「女鹿駅→」の小さな看板を発見。嬉々として入って行くと、薄暗い行き止まりに、不気味な廃屋のソレに似た待合室と対面。思わず脳内に「どよぉ〜ん・・・」という効果音が響
いた。軽いショックこそ受けたが、それでも念願の初訪問に気を良くした私は、カメラを持って周囲を探索した。鉄パイプに板を打ち付けただけの簡易ホームは歩くと“ドタドタ”
と音を上げ、普段見ない不審者に警告を発しているかのように感じられた。やがて、迎えの電車がやって来て乗車。他の乗客の視線が痛かったが、困難にもめげずに目的を
果せたことで、晴々とした気持ちになっていた。