2000/8/26 作成
新郷駅
伯備線“新郷駅” 集落から離れた山間に、列車交換だけが目的と思われる駅が存在していた。
深夜の新郷駅 有効長の長い退避線を備え、上下それぞれ対面式ホームに待合室がある 下り線ホームは崖下にあり、少々恐怖を感じる
訪問日記 2000年8月12日 駅寝での訪問
ここは、陰陽連絡のメインルートとなっている伯備線にある。周囲は山深く、人家は数軒ほどしかないため、利用者は少ないと思われる。それでも時折、
列車交換に使われるほか、なぜか早朝に発車する上り列車の始発駅にもなっている。ただ、停泊するような設備は無く、わざわざ新見駅から回送されて
くるが、私が見る限り乗客の姿はなかった。土曜日だったこともあるが、普段は学生の利用があるのかどうかまでは判らない。さらに2面の上下線ホーム
にはそれぞれ小さな待合室があり、駅寝に最適な造り付けの長椅子も備え付けられていた。閑静な雰囲気と合わせて落書き一つない室内はとても居心地
の良いものであった。
今回、中国秘境駅訪問旅として、昨晩東京発の「ムーンライトながら」で車中泊し、山陰本線・因美線・姫新線と乗り継いで来た。途中に2駅“餘部”と
“居組”の秘境駅訪問をこなし、深夜になって駅寝を目的にやってきた。訪問までは何となく地図上で周囲に人家が少なそう様子もあり、大丈夫か?思われ
たが、ネット上で検索しても有力な情報を得られないまま、行き当たりばったりで下車した。このように適当に見当を付けて訪れても、「人家が多い」、
「雰囲気が悪い」など、現場を見て落胆するケースは数多い。そのため、期待する方が間違いだろうと考えていた。ところが、訪問してみて驚いた。古い
駅舎こそ残っていなが、山奥にあってなかなか良い感じだ。自身の勘を信じて報われた瞬間であり一晩の宿として申し分のない設備と環境を備えていた
ので、非常に気に入った。夜中に一通り駅周辺の調査を終え、今日一日の疲れが出たのか臨時の夜行快速の「ムーンライト八重垣」を見送ったのを最後に、
待合室の電灯が自動消灯して、深い眠りに落ちたのであった。
翌朝、暫く周囲の散策をして判ったことは、駅から集落まで1km程度も離れていること、駅前に駅の開設30周年という記念碑が立っていることだ。ちなみに
記念碑は昭和57年度建立のため、駅の開設から既に50年経っているという勘定になる。さらに、「新郷駅の歌」という碑も併設されていたのには苦笑して
しまった。それでも、記念碑の裏に書いてあったように、地元の方々の熱烈なる陳情の末に、信号場と仮乗降場から正式な駅への昇格がなされた経緯が
読める。だが、永年の願いが叶ったものの、駅は集落より500mも山奥へ移設されてしまった。さらに時代の流れで合理化による無人化と駅舎解体という、
波瀾に満ちた歴史を経て現在に至っているのである。やがて、米子行きの始発列車がやってきて乗車し、一晩の安らぎを与えてくれた駅に感謝しつつ、後
にしたのであった。