2001/07/04 作成

男鹿高原駅

山深い秘境の地に何故かひっそり駅がある。 疑問多きこの駅を果たして誰が利用するのか…

          

一面一線のホームはおよそ人気と言うものを感じない   正面は深い緑で遮られているが、微かにせせらぎの音がする  地下鉄の駅を思わせる入り口

  

駅名標の下にある看板は会津地方(福島県)の銘酒であるが、ここはまだ栃木県。  駅前に出るといきなり上のような看板に出くわして驚いてしまう。

        

何故、ここにヘリポートが有るのか謎である。 “男鹿高原駅前広場”というのが何とも変だ。 野岩鉄道の変電所があるが、作業員はきっと車で来るだろう。


   訪問日記   2001年6月30日 訪問

  ここは、野岩鉄道という第3セクター鉄道の駅。福島・栃木県境に近く、国道121号の山王峠を近くに控える深い山の中にある。駅は国道から林道を600mほど入った場所にある
 が、周囲に人家はまったく無い。建造物として存在するのは、鉄道の電力を掌っている変電所と、謎の緊急ヘリポートが有るだけだ。そのヘリポートの名称は、“男鹿高原駅前
 広場緊急ヘリポート”とあり、全国に1万駅近くあるといわれる駅の中でもヘリポートが駅前にあるのは、恐らくココだけだと思われる。何故、こんな施設があるのかは不明だが、
 事件・事故、山火事などの他、天候悪化や故障、燃料切れなどで不時着する必要性が出た時など、文字通り緊急時に使用されるものであろう。国道沿いにはレンタルスキーの
 看板が有るので、近くにスキー場が有るのかも知れないが、オフシーズンとなっている今は、その存在自体はとても寂しさが際立っていた。 

 ここは2回目の再訪だが、前回は車によるものであり、しかも夜間帯であったために、周囲の状況がほとんど解らなかった。そこで今回、周辺線区のJR線乗り潰しを兼ね、列車
 で訪問することにした。生憎の雨だが、少ない休日を有効に使うためには天候を選んでいる場合ではない。土曜日となった今日、自宅最寄の西八王子駅で、関東一円のJR線を
 カバーする “スーパーホリデーパス” を入手して出発した。まず、大宮まで向かうため、八王子から川越行きの八高・川越線の電車に乗り、川越で乗り換えて大宮まで行く。ここ
 で、時間節約のため何と、宇都宮まで「東北新幹線」を使うことにした。自由席特急券を1790円で求め、“Maxやまびこ35号”の2階席に座った。久しぶりに乗った新幹線。第2世
 代と言える2階建て車両のE4系は、時速200km/hを越えてもあの滑らかな乗り心地に、改めて鉄道技術の凄さを体感する。ただし、自由席の2階部分は横6列の積込み主義。
 しかもシートはリクライニング出来ないため、高い特急料金を支払う側にとっては不満が残るものであった。

 こうして、30分弱で呆気なく宇都宮に到着して、日光線へと乗り継ぐ。2両編成の107系は杉並木に沿って淡々と変化に乏しい車窓の中を進むのだが、この路線は小学校の修学
 旅行以来、実に23年振りに乗車することになった。そう思うと何故か車窓を眺める目にも力が入ってしまうのは、“乗り鉄”の性なのであろうか。30分程度であの明治45年竣工と
 言われる木造2階建の日光駅へ到着した。ここから、東武日光駅までは徒歩5分足らずとのことで、駅舎の写真を撮り移動した。ここから男鹿高原駅まで、新藤原から野岩鉄道
 を含めた乗車券を1310円で求め、ホームへ入った。雨が降る中、快速用の6050系の独特なクロスシートに座る。座面が独立しているので、なかなか座り心地の良いシートだ。
 2駅ほどで下今市に到着、同じ6050系に乗車していよいよ目的の男鹿高原駅へ向かうことになった。考えて見れば、この東武快速の電車に乗れば、浅草からこれ一本で一流の
 秘境駅と呼べる男鹿高原へ行けるのだから、有る意味これは凄いことだと思う。新藤原からはいよいよ野岩鉄道で、トンネルが連続するため車窓を楽しむべくも無いが、中三依
 を過ぎた辺りから周囲に人家がほとんど無くなり、男鹿高原駅へ到着した。降りしきる雨の中、ホームへ降りた。

 早速、ホームにある駅の待合室に荷物を置き、傘を差しながら周囲の撮影を行う。ホームからの正面は渓流が流れているようで、せせらぎの音がする。出口へ向けて階段を登
 った行く。駅の正面を目の当たりにした私は、まるで金縛りに遭ったかのように全身が凍りついてしまった。それは駅前という概念越え、ただ幾つかの標識のみが存在するだけで
 あったからだ。その看板によると、左へ行けば、“林道行き止まり” 右へ行けば“ 国道121号線600m” といったものだった。更に、「男鹿山国有林 1.森林はみんなの財産です、
 緑の資源を守りましょう…(以下略)など、林道ツーリングをしていた時に見かける看板が立っているだけで、いったい何の為にここに駅を作ったのか、理解に苦しむのであった。

 ひとまず、挑戦的に林道行き止まり方向へ歩いて行くと、いきなりゴミの不法投棄された現場に行き当たった。その醜い人間の身勝手を諭すかの様に、地元の小学生が造った
 標語の立て札があった。それには、“ぼくたちが ごみを捨てたら 自然に悪い。○×小学校4年 **** ” とまるで、子供が大人を叱っているという、如何にも情けない状況が展開
 されていた。こうした行為は断じて許されるべきではないが、捨てた本人がその現場へ戻って見ないと、その罪悪性と羞恥心を知るには、一生判らないのではないかと感じた。
 やはりここは、それほど人目に付きにくい場所なのである。

 そして、いささかやるせない気持ちを引きずりながら、今度は反対側へ引き返して駅前を通り過ぎて国道方面へと歩いて行った。すると、冒頭で述べた変電所と、あの謎のヘリ
 ポートのある広場へと出た。何でこんな所にこんなモノがあるのか…? しばらく立ち止まって色々考えていたが、そんな理由を答えてくれる看板などある訳はない。勝手に想像し
 つつ、列車がやって来る時間が迫ってきたので、駅へもどることにした。雨は更にその激しさを増し、仕舞いには全力疾走で駅の待合室へと避難した。しばらくして浅草行きの
 快速電車がやってきて乗車した。ドアが閉まり、この駅にはまた人気が無くなった。今度訪れる人は誰だろうか?そんな思いを胸に、電車は駅を後にして行った。