2000/5/12 作成
大畑駅
肥薩線「大畑駅」 ループとスイッチバックで有名なこの駅は、優等列車も無くなった今、静かに深い山の中に佇んでいる。
古い駅舎がとても良い雰囲気で旅人を迎えてくれる。 駅の周囲に人家は無く、列車が来る時以外はほとんど無人。
待合室の床は土間になっていて明治の雰囲気を色濃く残すこんな駅も珍しい。 このスイッチバックは、あらゆる列車の通過を許さない。
訪問日記 2000年5月9日訪問 駅寝敢行
ここは鉄道ファンには馴染み深い肥薩線の“大畑駅”。今更ながら鉄道に詳しい読者を相手に説明をするのも難だが、敢えてその魅力を紹介しよう。
ここは、日本で唯一のループ線中にあるスイッチバック駅で、急傾斜地を登る非力なSLを運行させるため、この様な複雑な線形として作られた。いわゆる
一般の乗降客の利便を図った駅ではなく、運行上必要不可欠な施設として、明治時代、当時の鹿児島本線の駅として建設された。山を切り開いて敷地を
確保したが、13名に及ぶ犠牲者を出すほどの難工事であった。判り辛いがその慰霊碑が右下写真のほぼ中央の位置にSLの動輪と共に慰霊碑が立って
いる。駅舎は開業当時の姿をそのまま残しており、後に鉄道施設遺産にも指定されたほど。このように昔懐かしい雰囲気が旅人を優しく迎えてくれる、実に
素晴らしい駅といえよう。周囲に人家は無く、同名の大畑集落からも3Km以上も離れているため、人気の無い静寂感を漂わせていた。
だが、ここもSL終焉の頃には大ブームとなり、重油燃焼装置を持つ特殊装備のD51が3重連で長大な貨物列車をプッシュプル(前後)牽引していたとの事。
その迫力たるや、この世の物とは思えない凄まじさだったそうだ。ループ線の周りには沢山のファンが鈴鳴りの様に押しかけ、急勾配を奮闘する列車に熱
いシャッターを切っていたという。そんな話を今年定年退職するという、運転士がしみじみと語ってくれた。ちなみに、現在の車両は、強力なディーゼルエン
ジンを積んだキハ31系が単行で勾配をものともせず軽快に上がっていく。愛称も「いさぶろう」と「しんぺい」と付けられ、車内の一部には畳敷きのボックスに
なっている。 ※現在では、展望デッキを備えたキハ40系の専用車両が3両で運行されている。
前置きが長くなったが私は今回、人吉駅へ急行“えびの”なき後の“くまがわ”に乗り、40分ほど先回りして駅前の“青柳温泉”へ入浴した。非常につるつる
した泉質で、とても気持ちが良い。こうしてとっぷりと日も暮れた19:38分、吉松行きの普通列車は定刻に発車し、窓を全開にして高原の夜風を楽しんだ。
やがて“大畑駅”に到着。上記の話をして下さった運転士さんに、「どこへお泊りですか?」と聞かれ、少しバツが悪く、「この駅です」と答えた。そうしたら、
舌を出してニコニコしながら、「8000円になりすぅ」…だって。一本取られた。「またぁ〜」と笑って返し、「お気お付け下さい」と言われ、何だか助かった気がし
た。「有難うございます、また明日お世話になります」と返し、2発のタイフォンを鳴らして闇の中へ去って行った。
さあ、この駅はすでに私一人。 土間の待合室のベンチに油断して荷物を置いた途端、落下して土ぼこりにまみれた。早速、大畑駅の洗礼を受けた格好だ。
幸い外の湧水盆が生きており、先ほど入浴に使った濡れタオルでふき取る。さらに、あちこち土ぼこりがひどく、この濡れタオルが大活躍したことは言うまで
もない。しばらくして駅の外に出て、思わず歩みが止まった。満天の星空に感動!湧水盆で冷やした缶ビールを飲む。う〜ん美味いっ!
翌朝、周囲の撮影を終え、2駅先の真幸駅へ向けて列車に乗る。昨日の運転士が常務していて嬉しくなった。他に乗客は地元の方と思われる2名だけ。
色々な話を伺いながら、日本三大車窓である、矢岳越えを堪能したのであった。
そっと列車を受け止めてくれる、懐の深い駅である 駅前の道は未舗装で、なかなか良い雰囲気 SL時代に運転士や助手が顔を洗った湧水盆
再訪日記 2001年5月10日 再訪
ここは、前回の訪問時には駅寝を敢行したのであるが、今回は逆に吉松駅からのアプローチで上下列車を組み合わせての訪問となった。駅の雰囲気は
前回に記した通りで割愛するが、ちょっと変わった点を発見した。それは駅待合室の床が土間では無く、コンクリート打設となっていたことだ。実はもともと
コンクリートの打設ではあったが、雰囲気を出すためにわざわざ土を被せて土間としてたようで、あまりにも土ホコリが凄いため、改めて除去されたという。
ここにはおよそ1年振りにやってきたが、春先は桜で有名なスポットとなるため楽しみにしていたが、5月も中旬となった今はすっかり散ってしまい、物足りなさ
を感じてしまった。標高が高い山間部とはいえ、温暖な九州ゆえ春の訪れは何処よりも早い。
下り列車を待つ間の約30分間で、駅構内をあちこち歩き回りって撮影を行っていた。そのうち1台のパトカーがやって来る。最初は何事か?、と思ったが、
単にパトロールだけのようだった。一人の巡査が降りて来た。「ご苦労様です」と挨拶すると、立派な体格をした巡査氏はニコニコしながら挨拶を返してきた。
怪しまれない為にも、私は「駅巡りをしながら写真を趣味にしている者です」と簡単に自己紹介した。一方彼も熊本出身ではあるが、この駅へやって来たのは
初めてであり、こんなに自然豊かな場所に駅があることを非常に驚いていた。以前住んでいた場所は熊本市からほど近い“水前寺”だったが、この地へ最近
になって赴任してきたそうだ。こうしてお互いの素性を明らかにすることで話しのきっかけが生まれ、暫し彼と色々と鉄道の話題や世間話に花が咲いた。
折角だったので私のHPを紹介するために、トップページをプリントアウトしたモノを渡すと彼は非常に喜び、「是非職場の仲間と楽しみたいです」と感謝され
嬉しく思った。殺伐とした都会で日夜多くの事件や犯罪と隣り合わせの警察官もいれば、こうして何かが起こる可能性の低い田舎に勤める警察官もいる。
この差は大きいが、私が同じ立場だったら間違い無く後者を選びたいところだ。こればかりは本人の希望通り自由には決められないのかもかも知れないが。
あっという間に30分が過ぎ、人吉方面からの列車がやって来た。発車すると巡査氏は敬礼で見送ってくれた。なんだか妙な気分であったが悪くはない。こう
してスイッチバック線に入り、再度バックして駅の上方へ続く丘へと駆け上がる。ホームにはまだあの巡査は佇んでいるのが見えた。きっと今日も平和な1日
が終わっていくのであろう。