2008/9/3  作成

瀬戸石駅



早春の「瀬戸石駅」 風に揺れる菜の花が、ほんわかとした空気を演出する、そんな優しい駅だった・・・

      

列車交換の出来る設備と有効長のある島式ホームを持つ    だだっ広い駅前広場は過去2度の水害で駅舎が失われた、悲惨な歴史を物語る


    訪問日記  2008年3月21日 訪問

   ここはJR九州の肥薩線にある列車交換駅で、球磨川へ貼り付くように存在している。周囲の人家は駅前の1軒だけで集落は対岸にあり、だだっ広い駅前広場は
  一面アスファルトに覆われる
寂しげな一帯であった。さらに対岸へ掛かる橋も、およそ2km近く離れているため、とても不便な場所である。利用者はいったいどの
  ようにやって来るのか?と、素朴な疑問が沸き立つが、これが駅の下にある船着場から球磨川を渡河する“渡し船”が運行されているのだ。運行時刻こそ不定期
  だが、川辺に立って「おーい」と叫ぶと、お爺さんが櫓を漕いで迎えに来てくれるそうだ。単なる興味本位で思わず、その渡し舟に乗ってみたいという衝動に駈られ
  るが、地元の人でも無いのに用事も無く呼び立てるのは、恐れ多くも憚るため遠慮したい。

  さて、駅の話に戻そう。開業は肥薩線が鹿児島本線のメインルートであった明治43年6月で、当時運行されていた長大編成の列車を受け止める長いホームと
  待避線を備えた広い構内を持っている。だが、無人化されて久しく、現在では1〜2両程度のワンマンカーが、その長いホームを持て余すかのようにポツンと停まる、
  “川辺の小さな停車場”といった風情である。そんなのどな駅だが、過去2度に渡った凄惨な修羅場があったことなど、今となってはとても信じ難い。時は昭和40年
  7月3日、折からの集中豪雨によって球磨川が氾濫を起こし、怒涛のような濁流に列車ごと流され(乗員・乗客は無事でした)、開業当時からの駅舎も失われた。
  その後、鉄筋の駅舎へ再建されたものの、昭和57年7月にも集中豪雨による水害で再び倒壊してしまい、以来この地に駅舎は建たなくなった。そんな悲しい過去を
  つぶさに見つめ、心を痛めてきたのがホーム上にある古びた待合室だ。こちらは少しばかり高い位置にあったお陰で影響を受けることなく、いまも健在なのが唯一
  の救いである。

  今回こちらへ訪問することになった秘境駅訪問旅は、山陽新幹線の東広島駅からのスタートし、九州新幹線の新八代駅から肥薩線の列車へ乗り換え、大畑、
  矢岳、真幸といった“山線”にあるハイレベルな秘境駅を再訪。さらに表木山駅、竜ヶ水駅、西大山駅を周って、帰り道になる九州新幹線の新八代に再び着いた。
  そのまま帰っても良かったが、「九州横断特急」で再び肥薩線へ入って球泉洞駅まで乗車、さらに普通列車で折り返して、ようやくこの瀬戸石駅へ下車した。
  列車を降りていつものようにホームの端から端までゆっくりと歩みを進め、周囲の観察を行う。う〜ん、早春の九州は流石に暖かい。黄色い菜の花が風に揺られ、
  見る者の心を和ませる。この至福な一時を享受するために、何百キロ、何千キロもの道のりをやって来るのだ。人ごみの観光地なんて要らない。小さな駅のささや
  かな日常が見たいたけだ。のどかな風景を眺めながら「瀬戸石爺さん、水害ん時は大変だったねー」、「これからも長生きしてくれよ」などと、擬人化し想像を巡ら
  せながら駅と対話するのであった。