2001/10/16 作成

白井海岸駅

三陸鉄道北リアス線“白井海岸駅” トンネルに挟まれた小さな駅は、海岸レジャーの駅で生活感には乏しい…

      

待合所は吹きさらしの簡易タイプで風情に乏しい     駅周囲に人家は無い     そしてここへ辿り付く道路は狭くて屈曲している

   観察日記  2000年7月22日 停車中に観察

  ここはトンネルに挟まれた狭い場所にある、三陸鉄道北リアス線の“白井海岸駅”は、周囲に全く人家が存在しない。では何故このような場所に駅が存在するかという
 疑問こそ浮かぶが、恐らく駅名に示す通り海系のレジャー駅なのであろう。こうした駅は、本来シーズンのみ乗降できる臨時駅に多いが、3セク鉄道としての厳しい台所
 事情からか、少しでも観光化を図ってお客さんを呼び込み、収益を上げようとしている意図が読み取れる。また、この地方独特のリアス地形の複雑な海岸線は、沿岸へ
 忠実に沿っていくと非常に複雑な線形となって距離も伸びてしまう為、鉄道を敷設するにあたって相当に厄介なことであった。そこを定規で引いたかのような真っ直ぐな
 線形は、複雑な地形を長いトンネルで一気に貫いており、日本の鉄道敷設技術の素晴らしさとは裏腹に何やら冷徹なものを感じてしまった。ちなみに国鉄時代にはこの
 地に鉄道は無く、久慈線と宮古線が盲腸線としてわずかに飛び出していただけであった。こうして民営化に当たり、互いを直結させた功績は非常に大きい。また、積極
 的な経営努力によって黒字転換した年もあり、数ある全国3セク鉄道の目標とされたこともある(近年赤字らしいが…)。
 
 今回の秘境駅訪問旅で当初、この駅で降りる予定であったが、プラン変更のために停車中に観察できただけであった。列車本数もそこそこ有るので、次回は是非降りて
 訪問しようと考えている。


      

駅前に人家は全く無く、寂しいアスファルトの道が山の中へと続いている       無人のホームから列車がトンネルへと吸い込まれて行く


     


駅前の自販機は稼動中だが、電話BOXのピンクの電話は繋がっていなかった    すっかり色あせた駅名標     少し歩いて白井漁港へ行って見た

   訪問日記   2001年8月13日 訪問

  この白井海岸駅は、前回は停車した列車からの観察に過ぎなかったが、今回は念願叶って実際に降りての訪問となった。大方の予想通り、駅の周辺には全く人家が
 無かった。列車を降りた時は夕暮れもだいぶ過ぎてきたため、観察は早急に行う必要があった。暗くなってしまうとこの界隈は街灯一つ無いので、わずかな発見さえも
 難しくなると同時に、行動にも危険が伴うからである。唯一の頼りとなるモノは、ちっぽけな懐中電灯だけであり、港への探検を終えて駅へ戻る時には辺りは真っ暗な状
 態であった。

 日本一周秘境駅訪問旅において、北海道で最後に訪問した秘境駅が赤井川駅になった。夜行快速“ミッドナイト”を森駅から後続の普通列車に乗り換え、早朝に降り立
 った。のどかな時間はあっけなく過ぎ、隣の“大沼公園駅”へ向けて国道5号線へ出る道を歩き出した。しかし、駅までの道のりが予想以上に遠回りとなってしまい、小高
 い丘を越える形となったため、朝からかなりの体力を消耗してしまった。ようやく大沼の湖畔へたどり付いて後悔の念を抱きながらトボトボと歩いていると、一台のタクシー
 が通りかかった。 もう“パブロフの犬状態”で手を上げてしまったのは言うまでもない。こうして出費こそ掛かったが、快適に大沼公園駅へと到着することができた。駅前
 には数々の土産屋が並び、ここが観光地であることを嫌おがなしに印象付けた。途中からタクシーを使ったせいで待ち時間が少々長く感じられたが、ここを始発とする普
 通列車に乗り込み函館へと向かった。早朝からの運動でお腹も減ったので早速、朝飯を摂ることにしよう。函館は説明するまでもなく海産物のメッカといって良いほどの
 土地柄で、まずは函館朝市の中へ入り、お目当ての“きくよ食堂”へと転がり込んだ。定番中の「巴丼」(ウニ・いくら・ほたての三種丼)を食すことが目的だ。久しぶりに
 美味い飯を食べてお腹も満たし、少なくなったカメラのフィルムを探すために市内を歩き回って格安で調達することも出来た。こうして北海道を名残惜しみながら快速“海
 峡4号”の2号車カーペットカーに寝転がった私は、終着の青森まで深い眠りへと就いた。再び本州へ帰って来た。この旅ではもう海を越えることが無くなったためか、次
 第に旅の終りを意識し始める。急いで周っているようだが、しっかりと10日間かけている旅は、いよいよ明日でその結末を迎えることになる。 
 
 さて、北海道へ向かう拠点として、また多くの人が夢と希望を抱いて上京する人生の出発駅として、青森駅は旅情を感じさせる数少ない駅である。そんなシチュエーション
 に相応しく、今となっては非常に珍しくなった国鉄色の485系を使った特急“はつかり18号”に乗車した。東北新幹線がまだ未開通であった時代、これから上野へ行くのだ
 ・・・なんて情景がダブって来て、何だかタイムスリップしたかのようだった。乗ってしまうと判りづらいが、やはりこのオリジナルな色の列車に乗れると言うのは今となって
 は嬉しい限り。しかし、そんな貴重な列車も野辺地であっけなく降りてしまう。残念だが、青春18きっぷのユーザーは、接続列車を確保する手段以外に長々と特急に乗る
 ことは、金銭的な制約上、到底許されないのである。野辺地からはあの悪名高き701系のロングシート電車へと乗り継いで八戸で降りる。ここから忠実に日本列島の輪郭
 をトレースするため、八戸線へと乗車した。ここで待っていてくれたのは、HP開設以来の旧友である“寂鉄のかわっぺさん”である。彼とはこの先を行程を今夜の駅寝を含
 めて同行することにした。非電化の単線でしかもタブレット閉塞と腕木式信号機の残る今時貴重なこの路線は、往年の鉄道施設が今でも現役であり、とても味わい深い路
 線だ。

 この八戸線の中で秘境駅の候補に上げた駅は2駅あるが、今回は時間的な制約があり、そのうちの1駅しか降りることが出来ない。まずは一駅目の金浜駅で降りようか迷
 っていた。この駅は側溝に沿って造られたような駅で、車内からの展望が利かなかったので、半ばバクチのようなものである。一度は通り過ぎたが、大蛇駅で降りて対向し
 て来た列車に乗り込んで折り返すという離れ業を使い、意を決してこの駅で降りてみた。一見すると林の中にある同種の秘境駅である“のと鉄道”にある“白丸駅”を思わせ
 たが、階段を上がって道路に出て唖然としてしまった。騙された…。そこには商店があり、先には延々と多数の人家が続いている。「秘境駅じゃないね〜」なんて言いなが
 ら、近くの林の中を散策しながら列車を待つ。そこでやって来たのはなんと5両を連ねたキハ47である。しかし、その車両には4〜5名しか乗っていない。不可解な要素を残し
 たまま発車し、その途中で“有家”というも一つの秘境駅候補を見つけた。金浜駅の失敗と時間的制約から泣く泣く諦め、車内からの観察に留める。広大な太平洋を望む
 高台にあり、周囲の人家も3軒程度しか無いようだ。次回は必ずここで降りようと、一人リベンジを誓っていた。

 こうして久慈へ到着。ここからは第3セクターの三陸鉄道北リアス線に乗車、ようやくたどり着いたこの“白井海岸駅”は、同行したかわっぺさんも驚くほどの秘境駅であった。
 レベルの高さは当初の予想を遥かに上回り、久しぶりに大秘境駅発見という興奮を覚えた。あちこち写真を撮り捲りながら、暗くなる前に白井漁港まで歩いて行った。しかし、
 その道中にも漁港へ着いても全く人家が無かった。道端には使われることの無くなった漁具が転がり、何だか異様な雰囲気に包まれている。すっかり暗くなってから、街灯
 の無い道路を懐中電灯を頼りに駅へと戻る。ちょうど喉が渇いた所へ、場違い思われる自動販売機があったのでジュースを買ってみる事にした。なんと商品が出て来たでは
 ないか!思わず感動!って当たり前のことなんだけど、こんな人っ子一人いない駅でこういう場面に出くわすと素直に喜びが溢れてくるから不思議なものである。しかし、そ
 の脇の電話ボックスにあるピンク電話は、無残に配線が切れていて使用不能であった。自販機と公衆電話のどちらが大切かはその時の状況にもよるが、携帯電話は圏外で
 あったことを付け加えておく。こうして、お迎えとなった列車に乗り込み、この長いトンネルに挟まれた狭い空間にひっそりと存在している小駅を後にした。次の訪問は何時に
 なるか?10年先になってもここの景色はきっと変わっていないと私は予想している。

 ※2011年3月11日の東日本大震災によって、ここは津波の被害こそ免れたものの、路線休止により放置されてしまったとのこと。いち早い復旧とともに、多数の犠牲者へ
  哀悼の意を表したいと思います。