2000/3/24  作成

坪尻駅

土讃線 “坪尻駅” 駅前は草生した広場   黄昏た雰囲気が旅情を盛り上げる山の中のスイッチバック駅

       

闇夜に佇む“坪尻駅” 遠くに見える赤信号 今日はもう列車は来ない     そして、一人の旅人が好奇心をエサに一人夜中の駅を徘徊する

       

駅前は草生した広場   全く整備されていない道が山の中に消えて行く    その昔、信号場として通過列車はここでタブレット交換をしたのだろう

   訪問日記  2000年3月18日訪問

  香川・徳島県境に位置する猪ノ鼻(いのはな)峠のトンネルを抜けた途端、薄暗い谷底に現れるスイッチバックが現れる。周囲に人家はまったくなく、
 溢れかえるような大自然のなか、古い木造駅舎だけが凛とした佇まいを見せる。駅前は藪だらけの広場で、ここに通じる車道は一切ない。世間から
 隔絶されたような雰囲気すら漂う秘境の地にある。そんな駅が開業したのは1929(昭和4)年4月28日、列車交換のための信号場として開設された。
 建設当時、この場所は下方に流れる鮎苦谷(あゆくるしだに)という、意味有りげな名を持つ川の底にあった。敷地を確保するため、導水トンネルを掘
 り、川の流れを変えながら川底を埋め立てるという難工事の末に完成。その後、1950(昭和25)年に晴れて駅に昇格するが、早くも昭和45年には無人
 化されている。それでも最盛期には多くの鉄道員がここで働いていたらしく、線路の向かいの林のなかに、ボロボロに朽ち果てた商店の残骸が無残
 な姿を晒している。

 駅は引き込み線を備えたスイッチバックの構造を持つ。かつては同線にある新改駅のような平面交差となるシーサスクロスのポイントを持っていたが、
 高速化工事の際に一線スルーの片渡りポイントに変更された。常駐する職員はもとより、ここへ到達できる車道が無いため、保守の簡略化やアクシデ
 ントへの対応を考えれば必要なことであろう。駅のホームから見上げると崖の向こう側に、国道32号線が通っている。そこまでどれだけ掛るのかを調査
 するため、荒れた山道を登る。行く手は数々の倒木に阻まれ、辺りにはゴミが散乱している。お世辞にも気分の良い道とは言えないが、600mほどの急
 な坂道に息を弾ませながら登り切ると、すでに廃業して久しいドライブイン脇の国道に出た。バス停があるので時刻を確認。だが、一日当たり3往復し
 かなく、駅との間の山道を含めて利用価値を見い出すことは難しい。それでもここには近年になって私のように興味本位で訪れる人も増えたが、現在、
 定期的な利用者はたった一人の老人に過ぎない。彼は国道と反対側に登る山道を30分ほど歩いた所から通っており、周辺の草刈りなどもしているそ
 うだ。何でも自分専用の駅ということで、たいそう可愛がっていると聞く。こうした駅は管轄する職員だけでなく、ふだんから弛まなく手入れされている
 地元の人によっても支えられているのだ。

 私が初めてここに訪れたのは2000年3月8日のこと。当時はネットでの情報は皆無に等しく、手探りの状態で訪問することになった。旅費をギリギリに
 切り詰めた青春18きっぷでの旅では、もはや宿代さえも事欠く状態で、駅の待合室で夜を明かすしか手段は無かった。幸い駅舎には締め切り出来る
 扉があるため安心して横になっていたが、やがて外で動物の物音がしてきた。さらに野犬の遠吠えが聞こえてくる始末で、思わず全身に戦慄が走る。
 これほどワイルドな雰囲気を持つ駅も珍しいが、他の四国の駅には庇とベンチだけの待合所が多く、これでも快適な部類に属する。けれども、現在で
 は時流の事もあり、駅で寝ることはおススメできない。さらにこの駅は、もともと川底だったことからマムシが多く生息している。万一噛まれてしまうと、
 携帯電話で救急車を呼べても、ここには到達することは不可能だ。ヘリコプターさえも近づくことが危険な峡谷、安易に藪のなかを歩かないように充分
 に注意したいものである。