2012/10/26 作成

 最北の秘境駅をめぐる旅  Vol.3


 3日目(2012年10月7日)

    

  晴天の早朝、幌延駅前の「民宿旅館・サロベツ」をチェックアウトし、6:21の稚内行きに乗車。いつもながら幌延を過ぎると、いよいよ最北の区
 間に入るのだと、ひとり感慨に耽る。木々も色付き始めた“徳満駅”で下車。工事現場で見られる“スーパーハウス”の待合室が何とも貧相であ
 る。一丁前に平成12年7月31日付けの建物財産標こそ貼られているが、かつて存在した木造駅舎も、取り壊されて10年の歳月が過ぎようとし
 ている。解体直前には、少し傾いていたとのことで、恐らく“乗客の安全確保”という、体裁の良い理由で合理化の対象にされたのであろう。正
 面に掲げられた柾目の駅名板が、辛うじて駅としてのプライドを誇示するかのようだった。


    

 狭い室内には様々な装飾とともに当時の写真も掲げられているが、隅に置かれた芳香剤のキツイ臭いには参った。何も3缶も置く必要はないだ
 ろうに。たまらず清々しい外気を吸いたくなり、徒歩12分という案内のあったサロベツ原野を一望できる“宮の台展望台”へ行ってみることにした。
 駅を出ても人家は国道沿いに数軒ほどしかなく、幾つかは廃屋だった。「豊富バイパス(無料区間)」という入口の道路標識に思わず溜息が出
 る。頭が良すぎて腐っているな…。ネガティブに考えていても仕方が無いので、丘を登り、さらに展望台のてっぺんへ続く階段を上がった。「おお
 ー!」煩悩が一気に吹き飛んだ。かつてテントを担いで登り、夜中に突風で吹き飛ばされそうになった利尻富士も見えるぞ!すっかり気を良くし
 て駅へ戻り、次の訪問駅となる抜海へ向かう列車に乗った。


    

 最北の無人駅、木造駅舎、そして秘境駅という、“最北”という奇妙なタイトルずくめの“抜海駅”へやって来た。大正13年に開業以来の木造駅舎
 は、永年に渡って厳しい自然と対峙してきた、まさに北の停車場である。正面とホームの双方に雪切り室を備え、赤く塗られた木枠の扉や窓が、
 ロシアンチックな異国情緒を醸し出す。ちなみにここは、一昨年の8月、NHK総合テレビで“
にっぽん紀行「何もないから良いのです」”が放送され
 て以来、多くの人が訪れるようになった。しかし、大方はクルマでやってきて、物見遊山的に撮影し、数分で去って行く。これは一向に構わないし、
 私も同じ立場になることもある。けれども、これから列車に乗り込もうとする私は乗客だ。数少ない列車を、誰もいない秘境よろしく撮影したかった
 気持ちも解らないではないが、10名近い人に囲まれながら、あからさまに嫌悪感丸出しな顔をされてもねぇ〜 あなた方はJRの客ではないでしょ
 うに。困りますよホント。


    

 さて、嫌な気分も列車に乗ると忘れてしまう単細胞。終点の稚内に向かうことなく、緑まぶしい“問寒別駅”に折り返して下車。小さいながらも市
 街地が形成され、郵便局や小・中学校、北大の演習林と施設など、恐れ多くも秘境駅とは言えない。隣の“糠南駅”へ4km近くを歩く。鉄道では
 2.2kmだが、道路は大きく迂回し、ナイスなことに丘を登る坂道まで用意してくれるとは!6日分の荷物と三脚を収めたキャリーバッグを引きな
 がら、2kg越えたノートパソコンに一眼レフが2台、さらにf2.8望遠など各種レンズを詰めたカメラバッグを抱えていく。だいたいの目星を付けてい
 たが、こんな所で道に迷うわけにはいかない。スマートフォンIS06のナビで案内させるが、2kmも進まないうちにバッテリー残量が半分を切った。
 予備にエネループの単三を8本!持っているが何とかならんか。1時間弱でどうにか糠南駅に到着。以前なら同じような荷物であっても大雪の
 なかをガンガン行ったが、歳なのか、運動不足なのか、身体に応えるようになったことがとても悲しい。


    

 隣にあった上雄信内駅と、(臨)智東が廃止されたいま、この“糠南駅”は「宗谷の聖地」として相応しいものであろう。まさしく秘境駅訪問者
 は、いくら走っても先が見えない広大な牧草地の解放感と、たった一人が入れば満員になってしまう物置待合の閉塞感という、極端な対比
 を脳内で正しく認識し、理解しなければならないという、過酷な洗礼を浴びなくてはならない!(別にどうだって良いが…)少々強引な持って
 行き方だが、これほどパラドックスな駅を知らない。まして、停車する列車も下りが2本、上りが3本という非常にハイレベルな到達難易度で
 ある。前回訪れたのが、1999年12月で、およそ13年ぶりのこと。当時と明らかに変わっていたのが物置待合の床だ。原野を抜けて行く寒風
 が隙間だらけの床から吹上げ、心身ともに底冷えさせた戦慄が!何ときれいに塞がれているではないか。これでは修行にならない(煩い)。
 いささか文章が暴走しているが、この興奮を伝えるには丁度いい。こうして板箱にバナナの箱(フィリピン産・スウィーティオ)を被せ、さらにブ
 ランケット毛布で豪華にあしらわれた椅子に座り、献本されたと思わしき“十津川警部捜査行 伊豆箱根事件簿”をさらりと読む。時折、グラ
 ッと揺れるのは地震ではなく、他愛のない風の悪戯であった。


    

 昨晩、折り返しのために一度降りた“安牛駅”に再び訪問。真っ暗闇に包まれていた謎を解明しようと、一路駅前通りをまっすぐ進んだ。と
 ころが人家は一向に現れない。左右は空き地どころか大木さえ生えている始末。とうとう無住地になってしまったか。ゴミステーションからも
 生活臭は感じられず、行きずりで捨てられたと思われる少量のゴミ袋と、漂白剤の瓶が転がっているに過ぎない。道道の三差路まで来て、
 ようやく1軒の人家を発見。止まっている車が新しいので居住しているようだ。誠に失礼ながら、こうした駅を巡っていると、“廃屋”という疑
 いで見る癖が付いてしまったようで、あまりの下世話な色眼鏡に自らの行為を恥じたい気分になった。引き返して貨車の待合室を観察。近
 年になって、筬島や知恵文など外壁を張り替えて綺麗にリニューアルされる例もあるが、ここは駅名の判別さえ困難なほど激しく錆び付き、
 満身創痍な風貌を見せつける。思えば今まで幾度か通り、今回もなお列車を変えながら往復すれど、乗降者を見たことはただの一度もな
 い。まさか、このまま… 嫌な予感が当たらなければ良いが。


    

  安牛から折り返して、“天塩川温泉駅”で下車。夕暮れ時は一瞬で終わり、撮影している間に暗くなってしまった。小さな待合室と板張りの
 ホーム。かつて南咲来仮乗降場として1956(昭和31)年に開業したのち、1981(昭和56)年に天塩川温泉仮乗降場へ改称したものだ。平成
 時代に入って、安易に“○○温泉駅”へ変えてしまう悪しき流行以前であるため、心情的には穏やかである。まあいい、どうも疲れているよう
 なので、今夜の宿となる天塩川温泉へ1kmほど歩く。途中、2軒ほど人家があったはずだが、すでに解体の山になっていた。宿泊施設以外、
 何もない土地になってしまった。道北はここ10年の間、急激に過疎が進んだようで、何とも言い難い雰囲気が漂っていた。それでも温泉施設
 を目的に、ひっきりなしに行き交うクルマとの対比は皮肉なものだ。こうして一日の疲れを温泉で癒やし、おいしい食事を食べ、ぐっすりと眠れ
 る幸せ。明日からもまた旅は続く…。