2012/11/1 作成

 最北の秘境駅をめぐる旅  Vol.4


 4日目(2012年10月8日)

    

 早朝、朝霧煙る天塩川温泉を出発して“南美深駅”で下車。女子学生がひとり乗って来て、定期利用者は最低でも1人いることに安堵するも
 のの、一転卒業してしまった後の存続問題に不安が募る。トタン張りの木造待合室の脇に、彼女の愛車と思われる自転車が停められてい
 た。周囲にある人家は2軒ほど確認できたが、深い霧で見通しが悪く、実際はもう少しあるかも知れない。動きの渋い木枠の扉をこじ開けて
 待合室に入る。内部は薄暗く、木目の壁が郷愁を誘う。隅にはその昔、
食堂で使われていたような丸形のパイプ椅子がひっそりと置かれて
 いた。まるで昭和から時の流れが止まっているような空間は、洗練された洒落っ気など微塵もないが、なぜか居心地が良いものであった。



    

 美深へ一駅戻り、折り返して特急“スーパー宗谷2号”で深川に着く。高速で快適な列車は最初に乗車する時こそ興味深いが、飽きてしま
 えば眠気ばかり。こうして3日前に乗った留萌本線に再び乗車し、“藤山駅”で降りた。周囲は人家が多く、交通量の多い国道もあるため、
 秘境駅という範疇ではないが、小さな木造駅舎が可愛らしい。これは駅務室を部分解体したものだが、却ってモダンなスタイルになったの
 は時流への皮肉であろうか。駅名は“藤山要吉”という人物から採られたもの。彼は小樽で海運業を営んでいたが、この地を開拓して農場
 経営を興した人物だ。小作人へも分け隔てなく土地を分け与えたことから人望が厚く、駅名として後世へ名を残すことになった。そんな彼
 と開拓民たちの魂は、いまも駅前に聳える大木のように深く根ざしているのであった。



    

 次は2駅戻って“峠下駅”で降りた。留萌本線の深川〜留萌間において唯一、列車交換が出来る主要駅だ。駅名が表すとおり、峠のサミット
 に位置し、かつて補助機関車が使ったであろう引き込み線の遺構とともに、大きく立派な木造駅舎も健在である。以前ここを訪れたのは、
 2000年1月2日のこと。およそ12年ぶりの再訪だが、2軒あった人家がいずれも廃屋となり、とうとう無住地になってしまった様子。当時は冬
 季のため気付かなかったが、駅前に大きな庭園があった。しかし、誰からも手入れされないまま、やがて自然へと還って行くのであろう。寂
 しいことだが、旅人は黙って見届けることしか出来ない。



    

 再び深川駅に戻ると、ほどなく711系の普通列車が入線して来た。近郊型といえども、往年の急行型と遜色ない車両で、実際に急行“さちか
 ぜ”で使われた。加速こそ悪いが、静かで乗り心地の良い名車である。今年10月27日の改正で室蘭本線から撤退し、当面は岩見沢以北の
 函館本線と札沼線で使われるそうだ。洗面所もお湯と水を2つのボタンを押して出すレトロなもの。北陸本線の475系はすでに撤去されてい
 るため、全国的にも非常にレアな存在だ。贅沢な話、この列車に乗りたかったが、時間的な制約で特急“スーパーカムイ21号”に乗車し、旭
 川で富良野線へ乗り換えた。車内は学生を中心に混雑していたが、途中の“西聖和”、“西中”、“学田”の各駅を秘境駅候補の調査駅として
 当初、下車するつもりでいた。けれども、いずれの駅も人家が多いため断念し、そのまま終点の富良野まで乗り通すことにした。



    

 期せずして、2時間あまりの時間が生じた。このまま宿を取ってある新得へ急いでも良かったが、さらなる欲望が私を誘った。急遽、途中の
 “東鹿越駅”で下車して、プランの帳尻を合わせることに決定。富良野駅で7分の乗り換え時間にパンなどの簡単な食料調達を済ませ、根室
 本線の普通列車に乗り込んだ。すっかり暗くなってしまったが、2002年1月4日以来、およそ10年ぶりに再訪を果たした。石灰石を産出する
 工場こそ近いが、人家は遠く離れているため、生活臭は感じられない。さらに夜間のため、駅前に広がる
“かなやま湖”の絶景こそ望めない
 が、わずかばかりの空の青みに期待しながら、急ぎ三脚をセットしバルブ撮影に没頭。ホーム上にある名物?の石灰石と書かれた大岩も健
 在だ。やがて堪え難い空腹を覚え、待合室に入ってパンとカロリーメイトの侘しい夕食を取る。それでも、何故か心は満たされていた。こうし
 て2時間半後の列車に乗り、新得駅で下車。徒歩3分の“宮城屋旅館”に投宿するのであった。