2012/10/25 作成

 最北の秘境駅をめぐる旅  Vol.2


 2日目(2012年10月6日)

    
 
  生憎の雨模様に落胆するが、早朝5:50に名寄の宿・ビジネスホテルサンフラワーを出発。5分ほどで牧場風のマンサードファサードを持つ名寄駅
 へ到着。かつて、名寄本線と深名線が分岐した鉄道の一大拠点を彷彿させる大きな駅舎だが、小洒落た造形が旅心をくすぐる。待合室で朝食に昨
 夜旭川で買ったパンとカロリーメイトを食べ、缶コーヒーでひと頃の安らぎを得る。ほどなく、6:25発のキハ40形が入線して乗り込んだ。青いモケット
 張りのシートは、まさに国鉄の象徴!見果てぬ地へ誘うボックスは、期待に膨らむ大きな夢を叶えてくれる。こればかりは細々とした大都市近郊の
 私鉄路線には持ち得ない雰囲気だ。発車して隣の“東風連駅”に停車。停まる列車こそ少ないが、アスファルトで固められた立派なホームは、宗谷
 南線の高速化事業とともに乗降客の利便性を兼ね、反対側に移設されたものだ。


    

 いよいよ宗谷本線で最初の訪問駅の“瑞穂駅”に到着。無情の雨こそ恨めしいが、久しぶりに板張りのホームの感触を楽しむ。地元の方が丹精込
 めた花壇には美しい花が咲きほこる。10月に入ったいま、冬の到来に向け、最後の力を振り絞るかのようだ。ここには2001年1月1日に訪問して以
 来、実に11年ぶりだ。以前、待合室の扉は白く塗られた木枠だったが、いつの間にかアルミサッシへと変わっていた。床もむき出しの土間に防水コ
 ンパネが敷かれていたが、却って雪の日に滑りはしないかと心配である。雨のなか、撮影こそ限定的であったが、駅ノートがあったので書き込んで
 いた。その後、facebookに近所の鉄道ファンからのメッセージがあり、僅かな時間でニアミスだったことが判明。いまも交流を続けており、一度もお
 会いしたこともない遠方どうしが、こうして身近に感じさせる不思議な空間を共有している。一時間弱滞在したのち、折り返して北上する。


    

 これから降りようとする幾つかの駅を観察しながら、列車は淡々と進む。天気も雨、晴れを繰り返し、先々の好天に期待が高まる。“雄信内駅”に到
 着。正面の佇まいを見て、年輪を重ねた風格に言葉を発せず、ただ息をのむ。だが、住民はこの地を去って久しく、駅前は崩れ落ちた廃墟ばかりの
 ゴーストタウン。ただ頑丈に造られたコンクリートの農業倉庫とおぼしき建物が、「俺はここに居るぞ」と言わんばかりの強烈なメッセージを発してい
 た。農道を引き返して、廃校になった雄信内小学校を訪問。子供たちの喧騒こそないが、在りし日に心の礎を感じている人は健在のはず。人家も
 稀な板張りホームのような元仮乗降場とは異なり、消えた街という特異な存在。周辺の探索こそ興味深いが、歩みを続けるうち歴史の重みとともに、
 無念のうちに去って行った人々の寂寞な想いが込み上げて来るようで、終いには逃げ帰るように待合室へ戻った。中はまさに虫たちの宴。天井に
 は無数の蜘蛛と、絶え間なく響き渡る“ブーン”という蝿の羽音…。それでも、駅というだけで安らぎを覚えるのであった。


    

 雄信内から折り返して“筬島駅”に下車。以前より気になっていた駅で、今回初めての訪問である。貨車の待合室は外壁がきれいに修復されている
 のに驚く。駅前から少し離れたところに旧駅名標が立っていて、行き先表示の左側に“かみじ(神路)”の文字が!かつて、佐久駅との間に存在した
 幻の駅で、後に信号場へ格下げされたが、昭和60年の廃止まで残り続けた。1963年に国道40号線と連絡する橋が季節風により落橋。1965年には
 全てが離村し、最後は鉄道職員だけになったという。かつての詰め所が2005年まで残っていたが保安上の理由で解体され、今では跡形も無い。
 さて、この駅に降りたもう一つの目的は、彫刻家の故・砂澤ビッキの“アトリエ3モア”に立ち寄るためだ。晩年をここ筬島小学校の跡地にアトリエを開
 き、数々の木彫作品を制作してきた。現在、博物館として一般開放されている。静かな世界に満ち溢れるエネルギーを受けながら、1時間あまりの
 滞在を終え、再び折り返す列車に乗り込んだ。


    

 “上幌延”へ着く。ここは人家が3軒で主要道からも離れるため、駅前は静寂に包まれていた。停車するのは一日あたり下り2本、上り3本に過ぎず、
 鉄道を利用して駅訪問をする我々にとって、かなりハードルの高い駅である。それだけに訪れた時の感慨もひとしおだ。以前に訪れたのが、2000
 年12月31日で、同時に南幌延、安牛のほか、廃止された芦川、南下沼、上雄信内、(臨)智東といった錚々たる秘境駅を訪れている。当時は冬季
 で、豪雪の駅間歩きに始まり、21世紀を迎える厳寒の駅寝など、今に思えば若気の至りとはいえ、狂気の沙汰であったと回想する。我ながら整理
 下手であるため、こうした旅模様を忘備録としてHPに作成し公開しているが、いつの間にか同業者?も増えたようで、今回一緒に降りた人と情報
 交換しながら、しばし話し込む。後に一旦別れるが、晩に同じ宿で再会することに驚いた。やはり互いに少ない列車に乗る者どうし、引き合わせる
 のだろう。


    

 少ない列車を上下線で折り返す技は、秘境駅訪問の基本である。さらに幾重にもパターンを吟味し、限られた日程で最大のパフォーマンスを追求し
 ている。我ながらこの情熱に悦こそ入れど、実生活に何故か活かされない現実に不甲斐なさを感じてしまう。まあいい今は旅先だ、得意なことに集
 中しよう。こうして“歌内駅”に降りた。筬島駅と同じく初めての訪問に胸が高まる。夕暮れになって秋色も映えるひと時、周辺散策もいっそう楽しく
 なる。人家は駅前に数軒ほどあり、うち一軒は閉店したとおぼしき商店だが、自動販売機が稼働中であった。秘境駅めぐりでこうした補給スポットは
 実に有り難いものだ。


    

 夕暮れのトワイライトタイムに“南幌延駅”へ到着。こちらへ向いた電灯の直射を菱形ゼロのポールで隠すという小細工が効奏したようで、久しぶり
 に会心作が撮れた。やはり板張りホームの温もりは心に沁みる。踏切の向こう側には鄙びた待合室がある。内部は電灯がなく真っ暗なうえ、天井
 は2mにも満たない。6面全てがベニア板で覆われた簡素なもので、扉は朽ちながら壊れて外れていた。圧巻は、板を渡しただけのベンチ。11年前
 に訪問した時にチェックしていた「グリーン座席指定」の文字も健在で一安心。恐らく現行の駅において、これほどプリミティブなシートは数少ない。
 まさに秘境駅訪問者が憧れてやまない「王者の椅子」であろう。余談だが、2006年4月20日に廃線になった、ちほく高原鉄道・薫別駅の待合室に
 あった木組みの椅子を思い出した。その座り心地は絶品で、いまも地元の方によって守られていると聞く。さて、この南幌延は道道(県道と同義)
 に沿っていて、夕刻という時間のためかクルマ通りが多い。それでも人家は3軒ほどしか確認できず、多勢はクルマに乗ってすっ飛ばして行く。


    

 本日最後の訪問になった“安牛駅”。わずか13分で折り返すため、明日夕刻に再び訪れる予定だ。ちなみに南幌延から今夜の宿がある幌延へ直
 接行きたくても通過してしまうため、いったん反対隣の安牛駅へ行って捕まえるという小技を使う。ところが時間になっても列車が来ない。遠隔アナ
 ウンスもなく、宿の到着時間が遅れることをモバイルで連絡しておく。周囲に駅以外の光は全く見えないし、シーンという音さえ聞こえてきそうな無
 音の境地だ。以前は2軒ほど見えたはずだが、無住地になってしまったのか?明日の探索に興味が湧き立つ。やがて列車が10分ほど遅れてやっ
 てきた。こうして幌延駅前の「民宿旅館サロベツ」に無事チェックイン。風呂上がりにサッパリしたところで、玄関先に見覚えのある人がいた。先ほど
 上幌延駅で会った人だ。若い彼はその後、抜海駅を訪問して今しがた着いたという。せっかくの絶景・抜海だが、「いやまあ、暗くてねぇ〜」と。この
 がむしゃら具合が、10年以上前の私の姿なのか?